かながわの川 多摩川を歩く その2 〜変わりゆく京浜工業地帯〜
多摩川流域のかつての工業地帯も、今ではショッピングセンターやマンション、工場移転後の空き地が目立つようになった。工場が消えていく原因を、バブル崩壊後の長期不況や、生産拠点の海外進出が原因と考える向きもあるかもしれないが、実は、川崎市南部においては、高度経済成長期末期の1971年頃から、工業地帯の空洞化は始まっていた。
80年代後半、バブル景気による地価の高騰は(それ以外の理由もあるが)工場の移転や海外進出を促し、広大な跡地には住宅、商業・レジャー施設などが建設された。90年代にはいってからは、バブル崩壊後の不況と工業の空洞化によって、工場の閉鎖、移転が加速し、工場地帯はさらに大きく変貌した。
このように、京浜臨海部では、川崎区の他にも東京都大田区や、横浜市鶴見区などで工場跡地にマンション等が建設される傾向にある。それに伴い、人口も増加し、新たな通勤の足の確保が課題となっている。そこで注目されているのが、京浜臨海部東海道貨物支線の旅客化である(写真5)。
再び、京急大師線に乗り、今度は港町で下車してみよう。
国道409号線沿いでは、川崎縦貫道路の工事が進んでいる。川崎縦貫道路は、湾岸道路・アクアラインと、首都高横羽線、国道15号を結ぶ高速道路で、将来的には川崎の北部まで延長される予定で、将来の市の動脈として役割を期待されている。だが、付近住民の反対があったものの当初の予定通り建設が進められたため、地元住民の間では、完成時騒音や大気汚染に対する懸念も強い。03年現在、川崎区殿町付近まで道路の建設がすすみ、大師橋付近の旧日鉄建材跡地では、首都高速横羽線とのジャンクションの工事が行われている。
最近まで、川崎区には大型の駐車場を持つ郊外型のショッピングセンターはなかった。そのため、区内の買い物客が車で買い物肉場合、鶴見区や都内まで足をのばすことが多かった。このショッピングセンターが出来、以前遠方まで出かけていた人には大変便利となった。だが、以前栄えていた周辺の商店街への影響は大きい。近隣の中島町や伊勢町では客足も遠のき、店舗数も目立って減少している。
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