今でこそ,相模原市は工業都市か,あるいは東京や横浜のベッドタウンというイメージが強いのですが,1960年代ころまでは広大な桑畑に代表される農業地帯でした。現在でも市の西部に当たる相模川沿いの大沢・田名・麻溝(あさみぞ)・新磯(あらいそ)地区には多くの農地が残っています。相模川のそばの低地に水田のひろがる田名と新磯の一部を除いて,そのほとんどは相模原台地の上に広がる畑です。
私たちはまず,台地上の大沢地区にあるJA(農協)の相模原営農センターを見学しました。
かつて台地上に広がっていた広大な桑畑は,もちろん生糸産業の衰退とともにこの相模原でもほとんどが姿を消しました。そして市の南部の麻溝台地区の養鶏や,そのほかの地区の野菜などのように,東京・横浜という大消費地を間近にひかえた近郊農業に主力が移ってきました。
しかし,それ以上に1960年代からは横浜線や小田急線沿いの地区から急速な宅地化が進行し,農地面積が激減していて,農家戸数も急激に減少しています。一方で,新しく移り住んできた新住民の中には,余暇や定年後の楽しみとして農業に触れたいと考える人々も多くなってきています。
そのような状況の中で,営農センターでは農業後継者や担い手の確保のための事業として市とともに無料の援農講座を開いています。むしろ農家の後継者よりは,定年後の男性や家庭の主婦の受講が多く,主に花や家庭菜園での農業から入る人が多いとのことですが,中には本格的に農業に従事するまでになる人もいるそうです。ちょうど私たちがここを訪れて説明を聞いている隣の部屋では援農講座の修了式が行われていました。その数日後の朝日新聞にこの講座を修了した人の投書が掲載されていました。
1999. 2. 3 野外研修委員会