1997年度春季巡検「宮ヶ瀬ダムと中津川流域の地場産業」

半原の撚糸工業

午後は宮ヶ瀬(愛甲郡清川村)から, お隣り愛甲郡愛川町半原(はんばら)へ降りてきました。

半原は周辺に養蚕地帯を控えて 良質の生糸が多く手に入ったこと, 近くに絹織物産業で栄えた八王子があること, そして工業化の初期の段階で中津川の豊富な水力が利用できたこと などを背景に,明治の産業革命期以来 わが国を代表する撚糸(ねんし/よりいと)の産地として 発展してきました。 ただし,工業の発展につれて原料の生糸は 養蚕地帯から直接調達するのではなく, 横浜生糸市場から持ち込まれるようになりますが, その場合でも横浜に比較的近い半原は 立地条件に恵まれていたと言えるでしょう。
この町には大きな工場がなく, すべて中小規模の工場で生産されているというのも半原の特徴で, その意味でも「地場産業」という表現が あっているのかしれません。

私たちが見学したのも,そうした小規模な工場の1つでした。

撚糸工場(1) 現在では絹糸のほかにテトロンのような 合成繊維も原料として用いられます。
原料の糸(下の紡錘状のもの)は,まず機械で扱いやすいように 糸巻き(上の方にわずかに見える)に巻き直されます。

撚糸工場(2) そうして糸を巻き取った糸巻き(下の方の円筒状のもの)を 機械にかけて1方向から撚(よ)りをかけます。 1度撚りのかかった糸は機械の上方の糸巻きに巻き取られます。 織物の材料として使用される糸には,この1度撚りをかけた糸が 用いられます。

撚糸工場(3) ところが,ミシン糸のように“糸のまま”利用するような製品には 1度撚りをかけただけの糸は使えません。 よこ糸≠ニたて糸≠織りあわせる織物の場合には 糸が押さえつけられるので問題がないのですが, “糸のまま”だと1度撚りをかけたでは撚りがほどけてしまうのだそうです。 そこで撚りをかけた糸(下の方)をもう1度機械にかけて 今度は逆向きに撚りをかけます。

こうして生産された撚糸はミシン糸や組み紐(ひも)に加工されたり, 女性用下着やファッションベルトなど様々な繊維製品の材料として 利用されています。 半原はこのように撚糸の生産を中核とする 繊維工業の町として発展してきたのです。 神奈中バス半原バス停のそばにある 繊維会館にはこうした様々な繊維製品が展示・販売されています。

半原風景 半原にある撚糸工場のほとんどは規模の小さなものです。 ある意味では農家の庭先の小屋で撚糸を生産しているようなもので, 一見するとただの農村でとても工場があるようには見えません。 「ここのお宅では撚糸を作っていて, あそこのお宅では糸を染めていて...」 なんて説明を受けましたが,端から見ていると全然わからないのです。

実は半原撚糸工業は他の繊維産業と同様に 最近ちょっと斜陽気味です。 原料の糸は70年代までほとんど国産のものが占めていたのに対し, 以降は中国産がほとんどを占めるようになりました。 最盛期にはたくさんの女子工員がいて町もにぎわったそうですが, 今では半原の町はそんなことがあ想像できないくらい ひっそりとしています。 中津川沿いの谷底にある古い町並みに対して, 国道のバイパスが段丘の上の方に開かれて 町の中心は徐々にそのバイパス沿いに移りつつあります。
それでも半原の撚糸は, たとえば自衛隊で使用する弾薬を入れる袋などの 特殊な用途には根強い人気があるようです。



神奈川中央養鶏場

最後に,同じく愛川町三増(みませ)地区にある 神奈川中央養鶏場を見学しました。
といっても,時間が遅くなってしまったことと衛生上の問題から, 実際に見学したのは鶏卵をパックに詰め, それを箱につめる作業だけでした。

養鶏場 神奈川中央養鶏場は,座間市周辺の養鶏農家が設立した 神奈川中央養鶏農業協同組合1970年座間市から移転してきたものです。 現在では15.7万km2の敷地に 約70万羽のニワトリを飼育する鶏舎と, 鶏卵や食肉をパック詰めしたり加工したりする施設があります。

鶏卵センター(1) 鶏卵センターでは,パック詰めした卵の仕分けをする 作業が行われていました。
この丸いテーブルに乗せられたパックがテーブルの上を回りながら 次々と仕分けされて行きます。

鶏卵センター(2) 卵のパックは納入先ごとにそれぞれのトレイに仕分けされます。 そしてそれがすぐに販売店に輸送されるわけです。 それぞれのトレイに納入先を書いた紙が貼られていますが, その中には横浜市八王子市あたりの 大規模スーパーの名前なんかもありました。


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1998. 5.30 野外研修委員会