イタイプーダムと水力発電所
ブラジル イタイプー
1981.8.7/渡部 瞭
イグアス瀑布の北西、ブラジル・パラグアイ国境に跨ってイタイプーダムが建設中だった。この段階での世界最大の電源開発といわれ、近代化に賭ける両国政府の意気込みが感じられる。
コンクリートプラント
ブラジル イタイプー
1981.8.7/渡部 瞭
イタイプーダム建設のためのコンクリートプラント。さすがに世界一のダム工事だけに途方もない規模だ。
談笑する日系一世
ブラジル サンパウロ
1981.8.8/渡部 瞭
ブラジル移民も75年を越え、三世・四世の時代に入っているが、一世の方々も健在で、サンパウロ日本人街ではお年寄りの元気な姿を見かける。
フォルクスワーゲン・ブラジル工場
ブラジル サンパウロ
1981.8.8/渡部 瞭
海抜820mにあるサンパウロから海岸のサントスに向かう途中は、工業地帯が見られる。なかでも代表的なのがフォルクスワーゲン・ブラジル工場で、「カブト虫」は世界でここでだけ作られていた。
サントス港のコーヒー倉庫
ブラジル サントス
1981.8.8/渡部 瞭
サンパウロの外港、サントスは、ブラジルコーヒーの積出港として知られ、ブラジルコーヒーのブランド名になっている。港に沿って広大な倉庫群が展開する。
サントスの海水浴場
ブラジル サントス
1981.8.8/渡部 瞭
サントスのゴンサーガ海岸はブラジル屈指のリゾート地。砂浜に沿って別荘アパート群が建ち並ぶ。8月は真冬だが、ご覧のとおりの光景だ。
子どもたち
ブラジル サントス
1981.8.8/渡部 瞭
ゴンサーガ海岸で砂遊びをする子どもたち。皮膚の色は様々だが、全く違和感はない。この国では、人種差別は忘れ去られた言葉のようだ。
セアーザ市場で活躍する日系人
ブラジル サンパウロ
1981.8.8/渡部 瞭
日系移民は一世は農業移民として入ったが、二世の代になると商業活動が中心となる。ことに野菜や切り花は日系人が生産から流通までを握っている。三世は医師や弁護士になるものが多いと聞く。
サンパウロの高級住宅地
ブラジル サンパウロ
1981.8.8/渡部 瞭
ブラジルでも貧富の差は大きく、富裕階級は高級住宅地に立派な邸宅を所有するほか、別荘や自家用飛行機を持つものも少なくない。
コーヒー園
ブラジル カンピナス
1981.8.9/渡部 瞭
コーヒーはブラジル経済の代名詞ともいえる地位を築いてきたが、粗放的な生産のために霜害の多い南部に次第に移行し、現在は頭打ち状態だという。
テラローシャ
ブラジル カンピナス
1981.8.9/渡部 瞭
ブラジルコーヒーを支えてきたのは、テラローシャという赤色の肥沃な土壌だ。ここはサンパウロ州内陸部のカンピナス近郊にある日系の東山農場。
農場労働者住宅の食堂
ブラジル カンピナス
1981.8.9/渡部 瞭
典型的なコーヒー・ファゼンダである東山農場の農場労働者住宅の食堂。なかなか近代的な洒落た造りで、かつてのような惨めな生活は見られない。
ブラジルの木
ブラジル リオデジャネイロ
1981.8.10/渡部 瞭
リオデジャネイロ植物園は、インドネシアのボゴール、シンガポールと並ぶ三大熱帯植物園だ。これは国名の起こりになったブラジルの木。樹皮から優れた赤色染料を製造できる。
イパネマ海岸のサーフィン
ブラジル リオデジャネイロ
1981.8.10/渡部 瞭
ボサノバ「イパネマの娘」で知られるイパネマ海岸は、コパカバーナの南西に続く海水浴場。この日は曇天で薄ら寒く、海水浴客は見かけなかったが、元気な若者がサーフィンに興じていた。
コパカバーナでのジョギング
ブラジル リオデジャネイロ
1981.8.10/渡部 瞭
コパカバーナはリオデジャネイロを代表するリゾート海岸。高層アパートやホテルが建ち並ぶ。美しい石畳の歩道ではジョギングをする人を見かけたが、海岸は閑散としていた。
リオのファベーラ
ブラジル リオデジャネイロ
1981.8.10/渡部 瞭
ブラジルではスラムをファベーラと呼ぶ。映画「黒いオルフェ」の舞台ともなったリオのファベーラは、丘の斜面を不法占拠している。ここはまた、カルナバルの故郷でもある。
リオの夜景
ブラジル リオデジャネイロ
1981.8.10/渡部 瞭
リオの観光名所、花崗岩の岩山ポンデアスカル(砂糖パン)の展望台から眺めたリオの夜景。三大美港の中でも随一とされるリオデジャネイロは、夜でも美しい。
ベロオリゾンテのカテドラル
ブラジル ベロオリゾンテ
1981.8.11/渡部 瞭
サンパウロ・リオデジャネイロに次ぐブラジル第3位の都市ベロオリゾンテは、「美しい地平線」の名のように、高原にある近代都市だ。斬新な設計のカテドラルの壁面はポルトガル文化の象徴、絵タイルで彩られていた。
サッカースタジアム
ブラジル ベロオリゾンテ
1981.8.11/渡部 瞭
サッカーはブラジルの国技ともいえるスポーツだ。ここ、ベロオリゾンテサッカースタジアムは、ペレが千本目のゴールを決めたところで、入り口には「賞金を貧しい子どもたちに捧げる」という碑がある。
ウジミナス本社
ブラジル ベロオリゾンテ
1981.8.11/渡部 瞭
ブラジル経済の中心は、農産物のモノカルチャーから脱却し、鉱工業にスタンスを移した。その中心的な役割の一翼を担っているのが、この鉱産会社ウジミナスだ。
ベロオリゾンテ市街
ブラジル ベロオリゾンテ
1981.8.11/渡部 瞭
ベロオリゾンテ市は、歴史が新しいだけに幾何学的な都市プランで建設され、建物の高層化も目立つ。
イグアスクララス鉄山
ブラジル ミナスジェライス州
1981.8.11/渡部 瞭
ミナスジェライスの州名は、「鉱山州」という意味になる。各種鉱産資源に恵まれているが、なかでも現在中心的役割を担っているのは鉄鉱生産だ。代表的鉱山の一つイグアスクララス鉄山。
ウジナエスペランガ冶金工場
ブラジル ミナスジェライス州
1981.8.11/渡部 瞭
ブラジルでは一次産品としての鉱石輸出段階から、付加価値をつける冶金・製鉄などの工業の進展に期待をかけている。このウジナエスペランガ冶金工場もその一翼を担う重要な工場。
石灰石の採石場
ブラジル ミナスジェライス州
1981.8.11/渡部 瞭
冶金・製鉄には金属資源だけでなく、石灰石も重要な役割を果たす。これまで余り見向きもされなかった石灰岩層も重要な資源として見直されてきた。
蟻塚
ブラジル ミナスジェライス州
1981.8.11/渡部 瞭
ミナスジェライス州は全体に高原地帯で、起伏に富んだ道路が続く。古都オウロプレートに向かう途中で見かけた巨大な蟻塚。
世界遺産・オウロプレート市街
ブラジル オウロプレート
1981.8.11/渡部 瞭
オウロプレートは金鉱の町として栄え、ベロオリゾンテが建設されるまではミナスジェライス州の州都だった。植民地時代の美しい街並みが保存されており、世界遺産に指定された。
ブラジリア、中央カテドラル
ブラジル ブラジリア
1981.8.12/渡部 瞭
1960年、南東海岸部への人口・産業の偏在をただし、内陸部開発を図るため、リオデジャネイロから遷都したブラジルの新首都。都市の機軸に当たる交差点には半地下式の中央カテドラルがある。
ブラジリア、三権広場
ブラジル ブラジリア
1981.8.12/渡部 瞭
ジェット旅客機を模した都市プランを持つブラジリアの、コックピットに当たる部分が、この三権広場だ。中央は国会の建物で、左の上向きの鉢型の建物が上院、右の伏せた鉢が下院の議事堂である。
ブラジリア、メインロード
ブラジル ブラジリア
1981.8.12/渡部 瞭
尾翼に当たる部分に立つテレビ塔の展望台から眺めた胴体部分のメインストリート。遙か遠くに三権広場の国会議事堂が見える。胴体の両側が各省庁。商店や大使館は主翼の部分にある。
マナウスの食品市場
ブラジル マナウス
1981.8.13/渡部 瞭
マナウスはアマゾナスの中心都市。当時は百万都市になろうとしていた。ここでも野菜の流通を握っているのは日系人で、遠く南部からアマゾンハイウェーをトラック輸送されてくる。
マナウスの浮き桟橋
ブラジル マナウス
1981.8.13/渡部 瞭
マナウスはアマゾン最大の支流ネグロ川に面した港湾だ。ここまで数千トンクラスの外洋貨物船が遡ってくる。雨季と乾季では水位が10m以上も差があるので、浮き埠頭が設置されている。
サンハイモンテの水上集落
ブラジル マナウス
1981.8.13/渡部 瞭
マナウスの中心部は段丘上にあるが、ファベーラは川沿いに向かって延び、ついには水上集落を形成するに至った。雨季に異常水位があると冠水や流失の危険もある。
水上製氷工場
ブラジル マナウス
1981.8.13/渡部 瞭
アマゾン水系で活動する漁船などのために氷を供給する製氷工場が水上に作られている。原料はネグロ川の水なのでできあがった氷は茶色い。もちろん冷蔵用にしか使えない。
ソリモン合流点
ブラジル アマゾナス州
1981.8.13/渡部 瞭
アマゾン本流の分流であるソリモン川とネグロ川との合流点。本流の水はミルクコーヒーのような色だが、支流の方はコーラのようだ。2種類の水はなかなか溶け合わず、数kmも併行して流れる。
天然ゴムと練りゴム
ブラジル アマゾナス州
1981.8.13/渡部 瞭
アマゾナスは天然ゴム(パラゴム)の原産地だ。マナウスはその集散地として発展したが、産業スパイによって種子が英国を経由してアジアへ運ばれてから急速に衰退した。病害と生産形態が原始的だったためである。
ピラニアの干物作り
ブラジル アマゾナス州
1981.8.13/渡部 瞭
アマゾンの猛魚として有名なピラニアは、結構沢山いて、場所によっては入れ食いで釣れる。「小さい魚」という意味だが、このように結構大きい。なかなか美味で好まれる。
弓矢で魚を捕る先住民
ブラジル アマゾナス州
1981.8.13/渡部 瞭
アマゾン・クルーズの途中で見られる弓矢で魚を捕る先住民。もちろん観光用の「やらせ」だが、光の屈折を計算に入れて射るのは、相当熟練しないと困難だろう。
セルバ
ブラジル アマゾナス州
1981.8.13/渡部 瞭
マナウス付近ではAfとAw気候区の境界線付近のため、純粋な熱帯雨林(セルバ)とはいえないかもしれない。それよりはむしろ、雨季と乾季とでは極端に水位が違うことへの対応の方が興味深い。
密林中の放牧場
ブラジル アマゾナス州
1981.8.13/渡部 瞭
オオオニバスの大きな葉の浮かぶ池などを見ながらセルバを抜けると、意外にも牛の放牧場に出た。栄養が充分でないらしく、どの牛も痩せている。ホテイアオイなどの水生植物を飼料として運んでいるのも見た。
テアトロアマゾナス
ブラジル マナウス
1981.8.13/渡部 瞭
ゴム成金時代を象徴するのがこの建物だ。イタリアから大理石を運んで建てたばかりでなく、イタリアからオペラ歌手、合唱団、オーケストラ、裏方をそっくり運んで一晩のオペラを楽しんだのだ。
ペンシルビルの目立つボゴタ市街
コロンビア ボゴタ
1981.8.14/渡部 瞭
マナウスからベネスエラのカラカスへ飛ぶはずが、飛行機が欠航でコロンビアのボゴタで一泊する羽目になった。予定外で行ったボゴタでは地震国なのにペンシルビルが目立った。
ボゴタの屋台店
コロンビア ボゴタ
1981.8.14/渡部 瞭
夕刻のボゴタを散歩してみた。犯罪多発地帯だから充分注意するようにと添乗員が心配したが、人々は屈託がなく、人なつこかった。
銀行街
パナマ パナマ
1981.8.15/渡部 瞭
パナマ運河で知られるこの国は、中米の金融センターでもある。銀行街には立派なビルが建ち並んでおり、英語が充分通用する。テレビで日本のプロ野球を中継していたのには驚いた。
牽引車のラックレール
パナマ運河地帯
1981.8.15/渡部 瞭
パナマ運河を通過する船舶は、両岸の牽引車で引っ張られて移動する。閘門の部分の落差は、ラックレールで乗り越える。
パナマ運河ミラフローレス閘門
パナマ運河地帯
1981.8.15/渡部 瞭
スエズ運河と違い、高度差のある地峡を乗り越えるパナマ運河には、外洋と中間のガツン湖との間に6対の閘門(ロック)がある。これは太平洋斜面のミラフローレス閘門。
パナマ運河を進む梅光丸
パナマ運河地帯
1981.8.15/渡部 瞭
ミラフローレス閘門を見学している時、太平洋に向かう日本の貨物船「梅光丸」通過するところだった。船員に声をかけたら驚いた様子だった。
アメリカ橋
パナマ運河地帯
1981.8.15/渡部 瞭
この旅行の段階では、パナマ運河地域は米国の支配下にあった。これは運河の太平洋側にあるアメリカ橋。南北アメリカ大陸を結ぶ橋といえようか。
グアテマラの商店街
グアテマラ グアテマラ
1981.8.16/渡部 瞭
シウダードグアテマラの中心商店街。目抜き通りだが、拍子抜けするほど閑散としていて、看板ばかりが目立つのはどういう訳か。
コンセプシオンとアグア火山
グアテマラ アンティグア
1981.8.17/渡部 瞭
植民地時代のグアテマラの中心都市だったアンティグアは、1773年の大地震で壊滅し、現在は人口2万弱の小都市に過ぎない。かつての繁栄の名残はコンセプシオン大聖堂などに見られる。
母の木のあるコーヒー園
グアテマラ アンティグア
1981.8.17/渡部 瞭
グアテマラでは良質のコーヒーを産する。強烈な日光を避けるために、母の木が植えられているが、それが立派に育ちすぎて森林の中にコーヒー園があるといった光景だ。
先住民の機織り
グアテマラ アンティグア
1981.8.17/渡部 瞭
グアテマラにはかつて大帝国を形成したマヤ族の末裔が住む。彼らをはじめ中米先住民の織る布地は極めてカラフルだ。
地震の爪跡
グアテマラ アンティグア
1981.8.17/渡部 瞭
1773年の大地震の爪痕は、現在でも放置されているところもある。この柱頭飾り一つ見ても、当時の繁栄ぶりが偲ばれる。
マリアッチ広場の夜
メキシコ メキシコ市
1981.8.17/渡部 瞭
シウダードメヒコのガリバルディ広場は、夜ともなれば何組ものマリアッチ楽団が技を競い合い、にぎやかだ。地元民には安いが、観光客と見ると高値を要求されるから、事前の交渉が大切だ。
三文化広場
メキシコ メキシコ市
1981.8.18/渡部 瞭
シウダードメヒコはかつてのアステカ帝国の首都テオティワカンを破壊し、湖を埋めて作られた植民都市で、独立後も首都となった。ここはその3時代を象徴する遺跡が重なる三文化広場。
トウモロコシと竜舌蘭の畑
メキシコ メキシコ州
1981.8.18/渡部 瞭
メキシコを中心とする一帯が原産地で、全世界に広がった農作物は、トマト、タバコ、唐辛子など多種にわたるが、トウモロコシはその筆頭といえよう。竜舌蘭は農作物としては余り広がらなかった。
ウチワサボテンの実
メキシコ メキシコ州
1981.8.18/渡部 瞭
サボテンもメキシコ原産で世界に広がった植物である。このウチワサボテンの果実は、とげを取り除くのが面倒だが、すこぶる美味だ。後にエジプトやモロッコでも食べる機会があったが、メキシコには到底及ばない。
ソカロ広場
メキシコ メキシコ市
1981.8.19/渡部 瞭
ラテンアメリカの諸都市は、スペインの都市プランの影響を強く受けている。中央にソカロと呼ばれる広場があり、それに面した4面に行政・司法(警察)・宗教・商業(金融)の中枢がおかれている。

1981 ラテンアメリカ海外巡検B