ロサンゼルス郊外の油井
U.S.A. CA ロサンゼルス
1981.7.24/渡部 瞭
ロサンゼルス市域は関東平野ほどの面積を持つ。中心地から離れると、そこはカリフォルニア油田の一角だったりする。ハイウェーの脇にさりげなく油井がある光景。
ファーマーズマーケットの肉屋
U.S.A. CA ロサンゼルス
1981.7.24/渡部 瞭
農家の直営売店のあるファーマーズマーケットは、庶民の味方だ。一般小売価格より遙かに安く食料品を手に入れることができる。店員も気取らず気さくで、商品知識も豊富だ。
ハリウッドの歩道
U.S.A. CA ハリウッド
1981.7.24/渡部 瞭
映画の都ハリウッドの歩道。埋め込まれた星形の金属板にはスターの名が刻み込まれている。
チャイニーズシアター前の歩道
U.S.A. CA ハリウッド
1981.7.24/渡部 瞭
チャイニーズシアター前の歩道では、大スターの手形とサインが見られる。中央はソフィア=ローレン。
ハリウッドボール
U.S.A. CA ハリウッド
1981.7.24/渡部 瞭
ハリウッドボールは、巨大な野外劇場兼音楽堂。乾季の夏には、満天の星空の下で涼しいコンサートを安く楽しむことができる。
ばくちをする男たち
ペルー リマ
1981.7.25/渡部 瞭
この門口でばくちに興ずる男たちの服装を見て欲しい。12゚Sに位置するリマは、熱帯か亜熱帯といった緯度だが、案外寒い。南極海から北上するフンボルト海流が気温を低下させるのだ。
スペイン風の出窓
ペルー リマ
1981.7.25/渡部 瞭
リマで最初に目に付くのは、住民の貧富の差だ。ここは高級住宅地。かなり現代的な造りだが、スペイン風の出窓をわざわざ残している。
高級住宅の入口
ペルー リマ
1981.7.25/渡部 瞭
これも高級住宅地の風景。ちょっとクラシックな雰囲気の洒落た入り口を持つ。ブーゲンビリアが咲いているのは、いくら寒くても霜は降りないことを示す。
リマ、バリアダのスラム
ペルー リマ
1981.7.26/渡部 瞭
こちらは貧富の差の貧の方。町外れのバリアダの丘の斜面に形成されたスラム。水道設備などはない。天辺まで水を運ぶのは大仕事に違いない。
リマ、アルマス広場
ペルー リマ
1981.7.26/渡部 瞭
この当時も現在も、政情不安の絶えないペルーだが、大統領官邸前のアルマス広場は、植民地時代の面影を残す一角で、世界遺産にも指定されている。
リマを覆う雲海
ペルー リマ上空
1981.7.26/渡部 瞭
リマ空港を離陸した飛行機は、アンデス山脈に向かって上昇する。リマ上空は、3層の雲によって厚く覆われていた。なるほど気温が低いわけだ。
アンデス、ビルカバンバ山群
ペルー
1981.7.26/渡部 瞭
リマからクスコへ向かう機窓から、アンデスのビルカバンバ山群を見下ろす。この付近の雪線は5000m程度。最高峰は6081mの霊山サルカンタイだ。
フォークダンスの練習
ペルー
1981.7.26/渡部 瞭
クスコからピサックに向かう途中のある村の広場で、人々が集まり音楽が聞こえた。バスを停めて覗くと、祭礼の時に奉納されるフォークダンスの練習中だった。
ピサックの日曜市
ペルー ピサック
1981.7.26/渡部 瞭
ウルバンバ渓谷上流部のピサック村では、毎週日曜日に村の広場で定期市が開かれる。近郷の人々が農作物や手芸品を持ち寄り、互いに売買する。物々交換も行われていた。
アドベ
ペルー ピサック
1981.7.26/渡部 瞭
先住民の民家は、日乾し煉瓦の壁で造られる。干し草を混ぜ込んで補強してある。
アンディーノ
ペルー ピサック
1981.7.26/渡部 瞭
アンデス山地では驚くほどの高度まで、また急斜面まで階段耕作が見られる。作物は主にジャガイモとキヌア(インカライス)だ。このような耕地をアンディーノといい、アンデスの名の由来だそうだ。
アルパカ
ペルー サクサウアマン
1981.7.26/渡部 瞭
アンデス独特の家畜はリャマとアルパカだ。いずれもラクダ科の偶蹄目で、リャマは駄獣としても用いるが、このアルパカは保温性に富む毛が得られ、高級な毛織物の原料となる。
インカ遺跡と放牧
ペルー カンポデルアンデ
1981.7.27/渡部 瞭
アンデスの高原列車の車窓からは、そこここにインカ時代に造られた石垣を見受ける。この画面の山麓部に見られるのもそうで、数多くあったであろう地震にもビクともしない。
マチュピチュのアンディーノ
ペルー マチュピチュ
1981.7.27/渡部 瞭
世界遺産に指定されたマチュピチュは、険しい尾根の上に築かれた空中都市だ。最盛時には万を超す住民がいたとされるが、それを支えたのが45゚を越す斜面に開かれたアンディーノだ。
タンボマチャイの水場
ペルー タンボマチャイ
1981.7.28/渡部 瞭
アンデス山地は乾燥が厳しいため、インカ帝国の時代から上水道敷設の技術が発達した。ここに見られるタンボマチャイの水場は、そうした遺跡の一つ。今でも豊かな水が供給されている。
クスコ中央広場
ペルー クスコ
1981.7.28/渡部 瞭
クスコはインカ帝国の首都の上に築かれたスペイン植民地時代の都市。カテドラルのある広場はスペイン風だが、市街のそこここにインカ時代の土台が残る。
アンディーノと村
ペルー ヤナオカ
1981.7.29/渡部 瞭
クスコからティティカカ湖畔に向かうペルー国鉄の車窓からは急斜面に形成されたアンディーノと、日乾し煉瓦造りの民家が並ぶ村落が見られる。手前の建物は村の教会堂。
ティティカカ湖とプノ
ペルー プノ
1981.7.30/渡部 瞭
ティティカカ湖は定期船が航行する大型の湖としては世界最高所(3810m)に位置する。ここはその最南部に近く、対岸の山麓に見られる都市はペルー側の拠点プノである。
トトラを干す
ペルー プノ
1981.7.30/渡部 瞭
ティティカカ湖には湖上に人工島を形成して住むウロ族がいることでも知られる。人工島の原料はトトラというカヤツリグサ科の水生植物で、舟の材料にもなるし食料にもなる。
糸紡ぎ
ペルー コパカバーナ
1981.7.30/渡部 瞭
アンデスの先住民族の女性は背中に荷物や赤ん坊を背負い、糸紡ぎをしながら歩いている光景をよく目にする。これはコパカバーナの船着き場にいた女性。
トトラのバルサ
ボリビア ウアタハタ
1981.7.30/渡部 瞭
ウロ族のみならず、ティティカカ湖周辺の先住民族(アイマラ・ケチュアなど)はトトラでバルサという小舟を作って漁に出る。これは多分観光客目当ての「やらせ」。
リャマ
ボリビア ウアタハタ
1981.7.30/渡部 瞭
アルパカと並ぶアンデスの代表的な家畜リャマ。アルパカより毛が堅く、商品価値は低い。頸がアルパカより真っ直ぐ伸びるので、慣れれば見分けはたやすい。
アルティプラノの羊飼い
ボリビア
1981.7.30/渡部 瞭
アンデス高原アルティプラノでは、農耕は困難で、これだけ広大な土地は放牧地として利用されるに過ぎない。ここでは在来種のリャマやアルパカよりも外来種のヒツジが幅を利かせている。
川での洗濯
ボリビア
1981.7.30/渡部 瞭
アルティプラーノは4000m前後の高度を持ち、気温は低いが湿度も低いため、洗濯物は河原の石に拡げてておくだけですぐ乾く。遠景は秀峰イリャンプー(6485m)。
ラパス全景
ボリビア ラパス
1981.7.30/渡部 瞭
ボリビアの首都ラパスは海抜3800m前後のすり鉢型の谷頭部にあり、通常山の手に形成される高級住宅地は、空気の濃い低地にあって、空気の薄い山の手は貧民街になっている。
月の谷のバッドランド
ボリビア ラパス
1981.7.31/渡部 瞭
ラパスの町外れに展開する「月の谷」と呼ばれるバッドランド地形。無数の土柱が建ち並ぶ様は壮観である。
フンボルト記念碑
ボリビア ラパス
1981.7.31/渡部 瞭
ラパスの小公園に、天球儀を見上げる人物のモニュメントがあった。近づいてみると、近代地理学の父とされるアレクサンダー=フォン=フンボルトの記念碑と判明し、嬉しかった。
高級住宅地
ボリビア ラパス
1981.7.31/渡部 瞭
先述のように、ラパスの高級住宅地は空気の濃い谷底部に形成される。こうした立派な大邸宅が続いていた。
物持ちの神
ボリビア ラパス
1981.7.31/渡部 瞭
ボリビアの先住民族には呪術的な土俗信仰が根強く残っている。定礎式にはリャマの胎児のミイラを埋めたり、豊かな生活が送れるようにと様々な物を身につけた人形を飾ったりする。
ラパス国際空港
ボリビア ラパス
1981.7.31/渡部 瞭
ラパスの上部、海抜4000m前後のアルティプラノに世界最高の国際空港がある。正式名称はエル=アルト(高所)という。背後の高山はイリマニ(6480m)。
スモッグに沈むサンティアゴ
チリ サンティアゴ
1981.8.1/渡部 瞭
チリの首都サイティアゴ=デ=チレは盆地にあり、クリストバルの丘(300m)から眺めると、厚いスモッグの中に沈んでいる。自動車交通量の増加による。
サンティアゴ中心街
チリ サンティアゴ
1981.8.1/渡部 瞭
サンティアゴは280万の人口を有する南米屈指の大都会である。この当時は軍事クーデタから間もない頃で、住民の神経はピリピリしていて、行動は不活発なせいか、地味な印象を受けた。
銅鉱の露天掘り
チリ サンティアゴ郊外
1981.8.2/渡部 瞭
チリの経済は、一時期銅のモノカルチャーという感があった。現在はそれほどでもないが、最大の輸出品であることに変わりはない。サンティアゴ西方の小規模な露天掘り鉱山。
バルパライソのアパート群
チリ バルパライソ
1981.8.2/渡部 瞭
バルパライソは、サンティアゴの外港としてこの国最大の港湾都市・工業都市として発展した。一方、北部のビニャ=デル=マールと並んで海岸リゾートでもある。海岸に立ち並ぶリゾートマンション。
市街と港を結ぶケーブルカー
チリ バルパライソ
1981.8.2/渡部 瞭
バルパライソの中心市街は海岸よりも高い段丘上に発達した。海岸と市街地を結ぶ私設のケーブルカーが何本も架けられている。
オレンジ園
チリ サンティアゴ郊外
1981.8.2/渡部 瞭
南北に細長いチリの中央部、人口重心に当たる付近を35゚Sの緯線が通っている。大陸西岸のこの緯度は地中海性気候区となる。チリでも地中海式農業地域で、柑橘などの果樹栽培が見られる。
アンデス山麓の牧場
チリ キヨータ
1981.8.3/渡部 瞭
温帯の真冬はさすがに薄ら寒い。地中海性気候なので冬は雨季。アンデスの雪もだいぶ下までおりている。牧場の草は青々としているのがこの風景の救いだ。
アンデス山麓の果樹園
チリ キヨータ
1981.8.3/渡部 瞭
チリ・ワインも近頃は日本でも入手できる。ブドウの栽培はアンデス山麓にまで及んでおり、日本と同じ棚作りが見られる。
U字谷
チリ ウスパヤタ峠
1981.8.3/渡部 瞭
真冬のアンデス越え。最高峰アコンカグアに近いウスパヤタ峠を目指してのぼる。谷氷河の侵食したU字谷が出現すると、相当高度を稼いだなと感じられる。
ラックレール
チリ ウスパヤタ峠
1981.8.3/渡部 瞭
ウスパヤタ峠のチリ側には、キロメーターランセ国際大会の舞台にもなったスキー場があり、そこまで鉄道が敷設されている。終点近くは急傾斜のためラックレール(アプト式)が見られる。
ウスパヤタ
アルゼンチン ウスパヤタ
1981.8.3/渡部 瞭
ウスパヤタ峠を越えてアルゼンチン側に下ると、最初の集落が、峠の名前にもなったウスパヤタだ。付近には温泉も湧いている。チリ側に比べると乾燥しており、久々に青空を見た。
サッカースタジアム
アルゼンチン メンドーサ
1981.8.4/渡部 瞭
アルゼンチンは天才マラドーナを生んだサッカー王国だ。人口12万人のメンドーサに3万人を収容するサッカースタジアムがある。市民の4分の1が入れるのだ。
ブドウ園
アルゼンチン メンドーサ郊外
1981.8.4/渡部 瞭
メンドーサの名産はワインだ。シーズンには盛大なワイン祭りが開催される。ここでもブドウは棚作りが見られた。今は冬なのですっかり葉を落としていて寂しい。
ワイナリー
アルゼンチン メンドーサ
1981.8.4/渡部 瞭
ワイナリーの一つを見学することができた。巨大なタンクがずらりと並ぶ様は壮観だ。鉄道の引き込み線には、石油類を輸送するようなタンク車が何台も見られた。
トロリーバス
アルゼンチン メンドーサ
1981.8.4/渡部 瞭
メンドーサは地方都市に過ぎないが、この地方の中心都市として、各種のインフラが完備しているように見受けられた。例えば大学や大病院だ。市民の足はこのトロリーバスだ。
銀行前の行列
アルゼンチン ブエノスアイレス
1981.8.5/渡部 瞭
この旅行の時期のアルゼンチンでは、猛烈なインフレが進行中で、開店前の銀行には、その日に使う現金を外貨から引き替えようという人々の行列が見られた。
タンゴの発祥地、ボカ
アルゼンチン ブエノスアイレス
1981.8.5/渡部 瞭
ブエノスアイレスの港町がボカだ。カミニート(小径)には、船員を相手にする飲食店が並び、ここからアルゼンチン=タンゴが生まれた。通りの壁にはタンゴにまつわるレリーフが見られる。
ブエノスアイレス港
アルゼンチン ブエノスアイレス
1981.8.5/渡部 瞭
ブエノスアイレスとは直訳すれば「良い空気」という意味だが、船乗りの用語では「順風」ということだそうだ。出港時には偏西風に送られ、銀や革製品がスペインへ向かった。
レコレタ墓地
アルゼンチン ブエノスアイレス
1981.8.5/渡部 瞭
ラテン=アメリカ諸国ではほとんどの住民がカトリック信者のため、土葬が一般的だ。富裕階級の墓が並ぶレコレタ墓地には立派な墓が多く、扉がガラス張りで中の柩が覗けるものもある。
別荘地、ティーグレ
アルゼンチン ブエノスアイレス
1981.8.5/渡部 瞭
ブエノスアイレス近郊の水郷ティーグレには、富裕階級の別荘が続く。水路に面して広大な敷地を有し、自家用の船着き場とボートをもっている。
進士農場の選果場
アルゼンチン
1981.8.6/渡部 瞭
パンパのはずれにある日系の大農場、進士農場を訪問した。ちょうどオレンジの出荷に追われていた。季節差を利用してヨーロッパにも輸出される。
豆科の牧草(ホワイトクローバー)
アルゼンチン
1981.8.6/渡部 瞭
大農場エスタンシアでは、経営者(エスタンシエロ)が移民(コロノ)に一定期間土地を貸与し、返却時には豆科の牧草(アルファルファ・クローバーなど)を植え付ける風習があった。
エスタンシアの牛囲い
アルゼンチン
1981.8.6/渡部 瞭
パンパに展開する大農場エスタンシアは、日本では想像もつかないほどの経営規模を持ち、その施設も途方もなく大きい。進士農場の帰途、そうした一つに立ち寄ってみた。
エスタンシアの肉牛
アルゼンチン
1981.8.6/渡部 瞭
地平線まで続くパンパのエスタンシア牧場になぜか1頭でたたずむ肉牛。余りにも広大で、他の牛が見あたらないのが不思議だった。アルゼンチン人の食肉消費量は日本の25倍とか。
播種機
アルゼンチン
1981.8.6/渡部 瞭
幅だけで10m以上もある巨大な播種機。これをトラクターで曳いて種を蒔く。向こうには先ほどの肉牛が寂しそうにこちらを見ている。
コンバイン
アルゼンチン
1981.8.6/渡部 瞭
このエスタンシアのエスタンシエロは、英国系だという。おかげでスペイン語を使わずに質問ができた。夕闇迫る中、自慢のコンバインを動かして見せてくれた。
イグアス瀑布(1)
アルゼンチン イグアス
1981.8.7/渡部 瞭
パラグアイ国境にも近いブラジル・アルゼンチン国境を流れるイグアス川に懸かるイグアス瀑布。ここを訪れたルーズベルト大統領夫人が「私のナイアガラが可哀相……」といったとか。
イグアス瀑布(2)
アルゼンチン イグアス
1981.8.7/渡部 瞭
滝口に近づくと水しぶきでずぶ濡れになる。また轟音もすさまじい。これでも乾季で水量は少ないのだという。周囲には亜熱帯植物が繁茂し、世界遺産に指定されている。

1981 ラテンアメリカ海外巡検A