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| クロスハーバートンネル入口 |
| 英領香港 |
| 1979.7.25/渡部 瞭 |
| カイタク(啓徳)国際空港のあるカオルン(九龍)半島から香港島に通ずるクロスハーバートンネル。有料だが、交通量はかなり多い。 |
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| 海水浴場 |
| 英領香港 |
| 1979.7.25/渡部 瞭 |
| 香港島南部のレパルス湾にある香港では数少ない海水浴場。かなり賑わっているが、派手さはない。 |
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| 水上生活者 |
| 英領香港 |
| 1979.7.25/渡部 瞭 |
| アバディーン付近の湾上に船を停泊させて居住している水上生活者。土地の少ない香港では、中国からの難民がたどり着くところといわれる。中を覗くと、麻雀をやっていたりする。 |
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| ハッピーバレー夜景 |
| 英領香港 |
| 1979.7.25/渡部 瞭 |
| ヴィクトリアピーク中腹の展望台から望む「百万ドルの夜景」。日本と違ってネオンサインの点滅は許されていない。右手手前はハッピーバレーの競馬場。 |
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| 夜店での食事 |
| 英領香港 |
| 1979.7.25/渡部 瞭 |
| 昼間は駐車場として使われている広場が、夜になると市場に変身する。飲食店も多く、家族連れで外食をする人々で賑わう。 |
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| シドニー空港の食品収集箱 |
| オーストラリア NSW シドニー |
| 1979.7.26/渡部 瞭 |
| オーストラリアは畜産国であるためか、食物の検疫が厳しい。空港に到着すると、バッゲージ受け取りよりも税関よりも、真っ先に出くわすのが食品収集箱だ。手荷物の食べかけの食品類は全部捨てさせられる。 |
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| オペラハウスとハーバーブリッジ |
| オーストラリア NSW シドニー |
| 1979.7.26/渡部 瞭 |
| 7月のシドニーは真冬だが、コートなしでも充分だ。シドニー湾に面するオペラハウスとその向こうのハーバーブリッジはシドニー観光に欠かせない名所。 |
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| 早朝のシドニー中心街 |
| オーストラリア NSW シドニー |
| 1979.7.26/渡部 瞭 |
| シドニーの中心街は、かなりスカイスクレーパー(摩天楼)が林立している。メルボルンにはヨーロッパの香りが色濃いが、シドニーはその要素は少ないようだ。 |
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| 昼飯時のビュッフェ |
| オーストラリア NSW シドニー |
| 1979.7.26/渡部 瞭 |
シドニーのオフィス街の昼食時。サラリーマンの多くがファーストフード店に群がる。
*最近はスシバーが大流行とか。 |
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| シドニーの住宅地 |
| オーストラリア NSW シドニー |
| 1979.7.26/渡部 瞭 |
| オフィス街は高層化が目立つが、住宅地は一戸建ての方が多いようだ。たっぷりとした敷地に、二階建ての瀟洒な住宅が続く。 |
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| ニュージーランド国会議事堂 |
| ニュージーランド ウェリントン |
| 1979.7.27/渡部 瞭 |
| 北島南部にあるウェリントンは首都だが、経済の中心は北部のオークランドにある。ウェリントン駅前にあるこのユニークな建物は国会議事堂だそうだ。さすがに40゚Sともなると吐く息が白く、毛皮のコートを着ている人も目立つ。 |
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| 冬でも緑の牧場 |
| ニュージーランド |
| 1979.7.27/渡部 瞭 |
| ニュージーランドが輸送コストでは最も不利な位置にあるのに、ヨーロッパにまで畜産物を輸出できるのは、生産コストを抑えることができるからだ。その理由は冬でも放牧が可能で、冬季飼料の準備のための労力や設備投資が不要だということが大きい。 |
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| 二両編成の特急シルバーファーン |
| ニュージーランド テ・クイティ |
| 1979.7.27/渡部 瞭 |
| 二大都市ウェリントン・オークランドを結ぶ鉄道の花形特急は昼行のシルバーファーンと夜行のシルバースターの2本しかない。しかもわずか2両編成ということに驚かされる。 |
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| マオリショーの一齣 |
| ニュージーランド ロトルア |
| 1979.7.27/渡部 瞭 |
| マオリはポリネシア系のニュージーランド先住民族だ。ワイタンギ条約によって、一応白人と同等の権利を法的には持つが、経済や社会的地位では不利な位置にある。観光用のクラフト作りやショーで生計を立てるものも多い。 |
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| マオリの集会場 |
| ニュージーランド ワカレワレワ |
| 1979.7.28/渡部 瞭 |
| マオリは木彫や芸能などにポリネシア系諸民族と共通する独特の優れた文化を持つ。これはマオリ語で「パ」と呼ばれる集落の中心に建つ集会場。彼らは独特の部族民主主義をもっていた。 |
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| 泥火山 |
| ニュージーランド ロトルア |
| 1979.7.28/渡部 瞭 |
| ロトルアは、北島最大の温泉地で、別府の地獄巡りのように各種の温泉噴出風景を観察できる。これは「坊主地獄」と同じ泥火山の噴出の様子。 |
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| ウォールボード工場 |
| ニュージーランド |
| 1979.7.28/渡部 瞭 |
| ニュージーランドは畜産の他に豊かな林産資源を持ち、林業もなかなか盛んだ。これは小規模な木材加工工場で、集合材のウォールボードを製造している。 |
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| 溜池と牧場 |
| オーストラリア NSW |
| 1979.7.29/渡部 瞭 |
| メルボルン・キャンベラ間はプロペラ機のフレンドシップで飛んだ。プロペラ機は飛行高度が低いので、地理屋にとっては地表を観察するのに都合が良い。これは溜池を持つ牧場。 |
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| スノーウィーマウンテン |
| オーストラリア NSW |
| 1979.7.29/渡部 瞭 |
| フレンドシップ機のパイロットは、操縦席から写真を撮らせてくれた。フロントグラスの向こうに展開するのは、オーストラリアアルプスとも呼ばれる大分水嶺山脈南部のスノーウィーマウンテンの山々。冬にもかかわらず雪は見られなかった。 |
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| キャンベラ中心部 |
| オーストラリア キャンベラ |
| 1979.7.29/渡部 瞭 |
| オーストラリアの首都キャンベラは、米国人グリフィンの設計になる計画都市だ。これは都市計画の機軸線をマウントエンズリー展望台から望んだところ。アンツーカ舗装のアンザック通りが延び、人造湖グリフィン湖を隔てて白亜の国会議事堂が聳える。 |
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| 人種差別反対ハンスト |
| オーストラリア キャンベラ |
| 1979.7.29/渡部 瞭 |
| 国会議事堂前には、クリスマス島の先住民族対する差別に抗議してハンガーストライキをしているグループのテントがあった。人種差別の問題は以前に比べると前進が見られるものの、白人中心社会であることに変わりはない。 |
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| 羊の毛刈り |
| オーストラリア NSW ガンダルー |
| 1979.7.29/渡部 瞭 |
| 「羊の背に乗ってきた」といわれたオーストラリアの牧羊業は、相対的な地位は下がったとはいえ、世界一の地位は揺るがない。毛刈りはハサミから電気バリカンになっても手作業である。 |
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| 製粉工場 |
| オーストラリア NSW アルバリー |
| 1979.7.30/渡部 瞭 |
| マーレー川流域はオーストラリア内陸部でも豊かな農業地域だ。小麦栽培も畜産も盛んだが、これは中心都市アルバリーの製粉工場。 |
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| カーペット工場 |
| オーストラリア NSW アルバリー |
| 1979.7.30/渡部 瞭 |
| かつてはオーストラリアは羊毛輸出国としてのみ知られていたが、近年は一次産品のみならず加工品輸出が進展してきた。人口増加に伴う労働力と機械化がそれを可能にした。このカーペット工場などもその一つといえよう。 |
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| 羊皮の陰干し |
| オーストラリア ヴィクトリア スプリングハースト |
| 1979.7.30/渡部 瞭 |
| 自然乾燥されるムートン。 |
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| オーストラリアの農家 |
| オーストラリア ヴィクトリア スプリングハースト |
| 1979.7.30/渡部 瞭 |
| この写真を見ただけでは農家とは思われないだろう。もちろん別棟で農機具置き場や家畜飼育のための施設もある。母屋だけ見れば、ちょっと大きめのサラリーマン住宅といったところだ。 |
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| メルボルンの最も古い街並み |
| オーストラリア ヴィクトリア メルボルン |
| 1979.7.30/渡部 瞭 |
| メルボルンはシドニーに比べるとヨーロッパ的色彩が色濃く残る街並みが多い。ここはその中でも最も古くから開けた一角。 |
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| マーレー川の閘門 |
| オーストラリア ヴィクトリア ミルデュラ |
| 1979.7.31/渡部 瞭 |
| マーレー川と支流ダーリング川との合流点に開けた町がミルデュラだ。マーレー川は可航終点でもあり、水位を調整する閘門も設けられている。 |
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| ミルデュラ技術学校の調理実習 |
| オーストラリア ヴィクトリア ミルデュラ |
| 1979.7.31/渡部 瞭 |
| 夜行列車のラウンジでこの学校の教員と出会い、「私の学校に来ないか」と誘われた。日本では小学校から高等学校に当たる年代の子どもたちが様々なコースで学んでいる。これは調理師コース。 |
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| ワイン運搬車 |
| オーストラリア ヴィクトリア ミルデュラ |
| 1979.7.31/渡部 瞭 |
| 地中海性気候区の外れに当たるミルデュラでは果樹栽培が盛んだ。近年日本でも流行してきたオーストラリアワインのかなり大きなワイナリーを見学することができた。 |
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| オレンジ園 |
| オーストラリア ヴィクトリア ミルデュラ |
| 1979.7.31/渡部 瞭 |
| ミルデュラでの果樹栽培は、ワインの原料の葡萄の他に柑橘類も重要な作物だ。 |
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| ソルトブッシュ NSW |
| オーストラリア |
| 1979.7.31/渡部 瞭 |
| ミルデュラ〜ブロークンヒル間の300kmは、大牧場(スタイション)が3軒あるだけだ。ダーリング盆地は半沙漠地帯になる。白っぽい葉を見せるこの植物はソルトブッシュといい、塩分を含んでいるという。 |
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| はねられたグレイカンガルー |
| オーストラリア NSW |
| 1979.7.31/渡部 瞭 |
| 地平線まで半沙漠地帯が続くが、この見通しの良い直線道路にグレイカンガルーの礫死体が横たわっていた。夜、ヘッドライトに目がくらんで飛び込み自殺するらしい。 |
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| ブロークンヒル北鉱山の排気筒 |
| オーストラリア NSW ブロークンヒル |
| 1979.8.1/渡部 瞭 |
| ブロークンヒルは鉛・亜鉛・銀の世界的な産地だ。鉱山の規模は大きく、機械化も進んでいる。 |
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| 鉱石運搬車 |
| オーストラリア NSW ブロークンヒル |
| 1979.8.1/渡部 瞭 |
| 大型の鉱石運搬車。日本では見られないような大きな車体だが、このような機械の多くは実は日本製である。 |
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| スクールオブジエアー |
| オーストラリア NSW ブロークンヒル |
| 1979.8.1/渡部 瞭 |
| ブロークンヒルは鉱山都市としての性格と、もう一つダーリング盆地一帯の牧畜地帯の中心都市としての性格を持つ。これは無線通信を利用したスクールオブジエアーの教室風景。町の子はここへ通学してくる。 |
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| フライングドクター無線局 |
| オーストラリア NSW ブロークンヒル |
| 1979.8.1/渡部 瞭 |
| 無線通信を利用したもう一つのサービスにフライングドクター(空飛ぶ医者)制度がある。これらは公的資金でなく、寄付金で運用されているそうだ。 |
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| カントリーエレベーター |
| オーストラリア SA ポートピリー |
| 1979.8.2/渡部 瞭 |
| スペンサー湾の奥にある港湾都市ポートピリーの鉄道駅に面して、巨大な小麦エレベーターが見られる。ここは小麦輸出のターミナルとなっている。 |
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| 世界最長直線区間 |
| オーストラリア SA クック |
| 1979.8.3/渡部 瞭 |
| オーストラリア大陸を横断するインディアンパシフィック号の、3泊4日の旅程の3日目は1日中ナラボー平原をひた走る。途中の478kmは世界最長の鉄道直線区間だ。 |
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| アパートとボート |
| オーストラリア WA パース |
| 1979.8.4/渡部 瞭 |
| オーストラリア人はスポーツ好きだ。ことにアウトドアスポーツに人気がある。たいがいの家庭にはキャンピングカーやモーターボートが備えられている。これはごく普通のアパートの駐車場。 |
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| パース中心街 |
| オーストラリア WA パース |
| 1979.8.4/渡部 瞭 |
| 西オーストラリア州の州都、パースは「世界一美しい町」といわれるが、それに異議はない。中心街は高層化が進んでいるが、この程度である。 |
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| スワン川のヨットハーバー |
| オーストラリア WA パース |
| 1979.8.4/渡部 瞭 |
| パースはスワン川の河口から16kmほどさかのぼったところにあるが、そこから河口までの所々に立派なヨットハーバーがあったり、バーベキューのための設備が完備している。 |
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| フリーマントル港 |
| オーストラリア WA フリーマントル |
| 1979.8.4/渡部 瞭 |
| フリーマントルはスワン川河口にあるパースの外港。オーストラリアの西の玄関口だ。立派な港湾設備を持ち、日本船も立ち寄るため、日本語の案内板も見られた。 |
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| 近郊農業 |
| オーストラリア WA |
| 1979.8.4/渡部 瞭 |
| パースの近郊に見られる野菜畑。オーストラリアの耕地としては極めて小規模といえるであろう。それでも日本の農地とは比べものにならない。 |
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| オレンジ園と風車 |
| オーストラリア WA |
| 1979.8.4/渡部 瞭 |
| パース近郊は典型的な地中海性気候区だ。訪れたのは冬の雨季だったので雲が多く、地面は湿っていた。乾季には水不足になるらしく、地下水を汲み上げる風車もそこここに見られる。 |
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| エビ煎餅の振り売り |
| インドネシア ジャカルタ |
| 1979.8.5/渡部 瞭 |
| インドネシアの街頭では、様々な振り売りがそれぞれ特色のある売り声で売り歩く姿を見かける。この大きなブリキ缶を担いでいるのは、クルプックという軽いエビ入りの揚げ煎餅を売る男だ。 |
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| ジャカルタのベチャ |
| インドネシア ジャカルタ |
| 1979.8.5/渡部 瞭 |
| インドネシアでは輪タクをベチャといい、庶民の足になっている。これよりちょっと高級なのがエンジンつきのベモだ。 |
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| 青空市場のウサギ屋 |
| インドネシア 西ジャワ ボゴール |
| 1979.8.5/渡部 瞭 |
| 世界有数の熱帯植物園といわれるボゴール植物園の塀に沿って、青空市場が開かれていた。これは食用のウサギを売る男。ムスリムは豚は食べないが、ウサギは食べるらしい。 |
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| プンチャク峠の茶畑 |
| インドネシア 西ジャワ プンチャク峠 |
| 1979.8.5/渡部 瞭 |
| ボゴールからバンドゥンへ向かう国道の最高地点がプンチャク峠だ。気温も真昼でも21℃と、熱帯とは思えない涼しさだ。この気候を利用して広大な茶のプランテーションが展開する。 |
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| ゴトンロヨンによる稲刈り |
| インドネシア 西ジャワ チアンジュル |
| 1979.8.6/渡部 瞭 |
| 日本の「結い」に当たる農村共同体の相互依存形態を「ゴトンロヨン」という。この棚田ではゴトンロヨンによる稲刈りの真っ最中だった。 |
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| 路傍で稲を干す |
| インドネシア 西ジャワ チアンジュル |
| 1979.8.6/渡部 瞭 |
| インドネシアの稲刈りは、穂先だけをつみ取る「穂刈り」が一般的だ。つみ取られた稲穂は、このように束にして路傍で乾燥させる。 |
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| ゴム園 |
| インドネシア ジャカルタ |
| 1979.8.6/渡部 瞭 |
| マレーシアには及ばないが、インドネシアでも天然ゴムの栽培が盛んだ。これは相当古いゴム園で、根元近くまでタッピングが進んでいる。近々植え替えるか廃園になるかするのだろう。 |
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| バティックの型染め |
| インドネシア ジャカルタ |
| 1979.8.6/渡部 瞭 |
| 古くはインドから伝えられたというバティックは、かつてはジャワ更紗の名で日本に知られていた。高級品は手描きだが、これは型押しの普及品タイプ。 |
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| ジャカルタの貧民街 |
| インドネシア ジャカルタ |
| 1979.8.6/渡部 瞭 |
| ジャカルタでは鉄道の線路に沿って不法占拠のスラムが見られ、正式にはタナハバシというが、「泥棒市場」などというありがたくない名が付けられている。住民の顔は屈託がなく、明るい。 |
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| ジャカルタの中心街 |
| インドネシア ジャカルタ |
| 1979.8.6/渡部 瞭 |
| ジャカルタのメインストリート「タムリン通り」を宿泊したプレジデントホテルから見下ろした光景。近くには大銀行やデパート、日本大使館もある。交通渋滞も日常化してきている。 |
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