早朝のカルカッタ市街
インド カルカッタ
1977.7.31/梅原正巳
カルカッタはインド有数の大都会で、ベンガル地方の中心地である。イギリスの植民地支配の拠点だった歴史を持ち、今もその面影を色濃く残している。早朝で交通量は少ないが、路面電車は満員だった。
貧しい家
インド カルカッタ
1977.7.31/笹尾廣巳
カルカッタには、広く美しい公園や堂々とした建造物もあるが、今にもつぶれそうな老朽家屋も多い。しかし、屋根の下に住めればまだましで、歩道やプラットホームにごろ寝している家族も目立つ。
大道でのカレー作り
インド カルカッタ
1977.7.31/梅原正巳
インドでは、道路は交通の場のみならず、生活の場でもある。すなわち、台所や洗面所であり、遊び場や居間、書斎であり、時に寝室で、便所ですらある。
カトマンドゥ旧市街
ネパール カトマンドゥ
1977.7.31/梅原正巳
ネパールの首都、カトマンドゥは、西半の旧王宮を中心とするゴミゴミした旧市街と、北東部の現王宮と王宮前広場を取り巻く近代的なビルや高級住宅の多い新市街からなる。これはホテルの窓から見た旧市街。
旧市街の商店
ネパール カトマンドゥ
1977.8.1/渡部 瞭
カトマンドゥ旧王宮前よりうねうねと続く旧市街の中心商店街インドラチョックの通り。一応街区によって商店の専門化が見られ、このあたりは衣料品店が多く、二階の軒下がショーウィンドウの役割を果たしている。
野菜の露天商
ネパール カトマンドゥ
1977.8.1/渡部 瞭
カトマンドゥ旧市街には、野菜・果物・花・スパイス類の朝市が立つ。近郊の農民が担いでくる色とりどりの野菜は、多様でみずみずしい。値段は交渉次第で、大きな天秤ではかってくれる。
街頭の牛
ネパール カトマンドゥ
1977.8.1/梅原正巳
ヒンドゥー教では、牛を聖獣として尊重するため、インド・ネパールでは、街頭を我が物顔に占領している牛を多く見かける。交通は牛が最優先であり、道を歩く時には彼らの「落とし物」に注意しなければならない。
煉瓦工場
ネパール カトマンドゥ郊外
1977.8.1/渡部 瞭
カトマンドゥ盆地の民家は、旧市街・農村を問わず、煉瓦造りが圧倒的である。建築材料として需要が多いため、田園地帯の所々にこうした小規模な煉瓦工場が点在している。
カトマンドゥ盆地の水田
ネパール カトマンドゥ郊外
1977.8.1/笹尾廣巳
カトマンドゥ盆地は湖成盆地であり、段丘が発達している。向こうに見える段丘面には、集落や畑地が見られ、柱石低地は一面の水田となっている。周囲の有刺鉄線は、牛よけである。
パタンの水場
ネパール パタン
1977.8.1/笹尾廣巳
古都パタンの町外れにある共同の水くみ場である。水場は神聖な場所と考えられていて、必ず一角にリンガ・ヨニ(生殖器崇拝の偶像)が祀られている。水くみは女性の仕事とされ、良く磨かれた真鍮の壺で運ぶ。
カトマンドゥ盆地の民家
ネパール バドガオン郊外
1977.8.1/梅原正巳
古都バドガオン郊外の5人家族の農家。赤色の泥造りの二階建てで、寄せ棟の草屋根が載っている。一階は土間で、しばしば家畜も同居する。内壁には牛糞が塗り込まれ、虫除けの役目を果たしている。
糸を紡ぐ娘
ネパール バドガオン
1977.8.1/梅原正巳
農家の軒先で、手回しの糸繰り車を使って糸を紡いでいる愛らしい娘さん。糸の原材料は、羊毛の他、山羊やヤクの毛も使われている。
ヒンドスタン平原
インド ウッタルプラデシ ヴァラナスィ
1977.8.2/渡部 瞭
ヴァラナスィ空港着陸寸前の機窓から見たヒンドスタン平原の景観。地平線は霞んでいるが、360゚全方向、どこまでも平らなようだ。しかし、よく見れば、集落や木立は自然堤防の微高地を選んで立地し、列状に分布していることが観察できる。
ガンジス川の沐浴
インド ウッタルプラデシ ヴァラナスィ
1977.8.3/梅原正巳
ヒンドゥー教最大の聖地ヴァラナスィには、インド全国から多くの信者が集まってくる。聖なる川ガンガに面したガートと呼ばれる階段状の沐浴場は、早朝から沐浴する信徒が引きも切らない。
輪タクに乗る家族連れ
インド ウッタルプラデシ ヴァラナスィ
1977.8.3/渡部 瞭
インドではリキシャと呼ばれる輪タクは、最も手軽な庶民の交通機関だ。2人乗りが普通だが、時にはこのように5人家族を乗せ、その上荷物まで運ぶ光景も見かける。
トウモロコシ畑の農婦
インド ウッタルプラデシ ヴァラナスィ
1977.8.3/梅原正巳
ヴァラナスィ空港付近の農業地帯には、トウモロコシや豆類の畑作が多い。我々には耐えることのできないほどの蒸し暑さの日中の畑で、農婦が黙々と草引きをしていた。
ヒンドスタン平原の田植え
インド ウッタヅプラデシ マツーラ
1977.8.4/梅原正巳
ヒンドスタン平原は、インドの米所であり、雨季の最中、田植えの風景にもしばしば出会った。植え方はかなり不規則で雑であり、土地利用もかなり粗放的といわざるを得ない。
雨季の農村
インド ウッタヅプラデシ マツーラ
1977.8.4/渡部 瞭
夏のインドは雨季であり、至る所で出水を見た。場所によっては冠水はかなり深く、胸まで水に浸かって往来する様子まであったが、人々は、こんなことは日常茶飯事とばかり、当たり前の顔で生活を続けている。
道を行く象
インド ウッタヅプラデシ マツーラ
1977.8.4/梅原正巳
インドの国道は、中心の2車線のみが舗装され、両側は草地になっている。その外側には立派な並木が続く場合が多い。その並木道をナンの目的に使うのかは不明だが、大きなインド象に乗ってくる若者に出会った。
家族計画キャンペーン
インド ハリヤナ グルガオン
1977.8.4/渡部 瞭
一組の夫婦と二人の子どもを描いた家族計画を呼びかけるスローガンは、至る所で見かけたが、政府の努力にかかわらず、インドの人口爆発は今のところ止めようがない。
労働者のデモ行進
インド ハリヤナ グルガオン
1977.8.4/笹尾廣巳
デリー南郊の工業地帯には、近代的な大工場が建ち並んでいるが、それらの間に広大な空き地や畑地があったりして、あまり機能的な工場配置とは思えない。労働組合のデモも、それを見る人は少ない。
ニューデリーの高級住宅
インド デリー
1977.8.5/渡部 瞭
美しい並木やグリーンベルトに彩られた放射状の街路網を持つ計画都市ニューデリー。広い芝生と森に囲まれ、門番までいる立派な大邸宅。高校の前では、お抱えの馬車がお嬢様の下校を待つ。これもインドなのだ。
オールドデリー市街
インド デリー
1977.8.5/梅原正巳
ゆったりしたニューデリーに対し、オールドデリーはゴミゴミして活気に満ちている。人々は道にあふれ、リキシャやスクーターがそれをかき分けるようにして走る。
露天の布地屋
インド デリー
1977.8.5/渡部 瞭
オールドデリーの歩道一杯に店を広げた露天商たち。一見雑然としているが、一つひとつの店はかなりきちんとした売り方をしていて感心させられる。
クルァーンを読む老人
インド デリー
1977.8.5/渡部 瞭
インド人の大半はヒンドゥー教徒だがムスリムも多い。これはデリー最大のジャーマ・マスジットの大理石の床で、クルァーンを読みながら礼拝の時を待つムスリムの老人。
洗濯物干場
インド デリー
1977.8.5/渡部 瞭
インドではクリーニング屋は下位カーストの仕事とされる。町中の空き地は彼らの干場で、小物は棹や紐に吊すが、サリー等の長い物は地面の草の上に並べて干している。
火力発電所
インド デリー
1977.8.5/渡部 瞭
デリーの町外れにある火力発電所。黒煙をもうもうと青空に噴き出す煙突は、さすがにインドは石炭の国だと思わせる。インドの電力事情は余り良くなく、都市部でもランプ生活をしている風景をよく見た。
パンジャブの水田
インド パンジャブ アムリトサル郊外
1977.8.6/渡部 瞭
シク教徒の町アムリトサルから印パ国境へ向かう途中のパンジャブ平原。世界的な小麦産地だが、灌漑の発達で水田地帯になっている地域もある。
果物の露天商
パキスタン シャルコット グジランワラ
1977.8.6/渡部 瞭
パンジャブ農業地帯の中心都市の一つグジランワラは、トラクターステーションがあったりして、なかなか活気のある街だ。土煙の中で果物の露天商が人気を集めていた。馬の首ほどもあるメロンは、水気もたっぷりで、さっぱりした味は飽きがこない、
牛糞干し
パキスタン ジェラム
1977.8.6/梅原正巳
乾燥気候地域では、薪炭を得るのが困難なため、家畜の糞は重要な燃料である。練り固めてこのように塀や壁などに貼り付けて乾燥させる。良く乾いた糞は、意外に火力があり、臭気も気にならない。
バッドランド地形
パキスタン ジェラム
1977.8.6/渡部 瞭
パキスタンに入ると、裸地が目立つようになる。パンジャブ地方北部の丘陵や台地には、見事なバッドランド地形が発達しており、いよいよ乾燥圏に入ってきたとの感を深くする。
段丘崖の穴居
パキスタン ラワルピンディ郊外
1977.8.7/渡部 瞭
ラワルピンディ西郊では、段丘崖状の地形を利用した、穴居が見られた。遊牧民の一時的な住居として利用されているらしく、入り口付近にベッドが出してあるところを見ると、現在使用中と見られる。
井戸水の灌漑
パキスタン ラワルピンディ タキシラ
1977.8.7/渡部 瞭
有名なガンダーラのタキシタ遺跡付近で見た井戸水の汲み上げ風景。井戸枠はコンクリートで立派に固めてあるが、石油缶を紐でおろして汲み上げるという、極めて初歩的な方法で、トウモロコシ畑を潤している。
工事中の用水路
パキスタン ラワルピンディ タキシラ
1977.8.7/渡部 瞭
インダス川本流に建設されたダムからの分水で、乾燥地を潤す用水路が、丘陵地帯を縫って延びていく。この工事は先進国の援助を仰いで行われている国家事業で、パキスタン政府の農業近代化にかける意気込みが感じられる。
テント生活
パキスタン ラワルピンディ タキシラ
1977.8.7/梅原正巳
乾燥圏においては、テント生活をするものも多い。ここに見られる遊牧民の場合は無論だが、都市部でも、臨時雇用者用の飯場などにテントが多く用いられ、建設現場にはテント村を見かける。
水瓶屋
パキスタン キャンベルポール
1977.8.7/渡部 瞭
乾燥圏の住民にとっては、水は最も貴重なものである。うずたかく積まれた大小の水瓶は、いずれも素焼きである。小さな穴からわずかに浸みだした水が、瓶の表面から蒸発する際に気化熱を奪い、中の水を冷たく保つ。
カイバル峠
パキスタン カイバル
1977.8.8/笹尾廣巳
スライマン山脈越えの要路、カイバル峠は、高度こそ1000m余りだが、休むべき木陰もない険しい山道である。古くからの駱駝道に加え、新旧の自動車道が開かれ、3段の道路が見られる。
沙漠に引かれた用水路
アフガニスタン ナンガラール
1977.8.8/渡部 瞭
スライマン山脈をいくつかの横谷を刻んで横断するカーブル河谷に沿った道は、V字形の峡谷と広い谷底平野とを交互に見ながら走る。峡谷部には近代的なダムが築かれ、その水は谷底平野の耕地を潤す。
緑の河谷
アフガニスタン ラグマン
1977.8.8/渡部 瞭
カーブル川のダムによる灌漑用水によって美しく緑化された谷底平野。周囲の一木一草ない山地と著しいコントラストを見せ、植物と水との関係を認識させてくれる。
カーブル市街
アフガニスタン カーブル
1977.8.9/渡部 瞭
カーブルは海抜1600m余の高度にある緑の谷間に開けたアフガニスタンの首都で、都心には近代的なビル街も見られるが、郊外の山腹には、貧しい泥造りの家が這い上がるように建ち並ぶ。
コーカソイド系の男
アフガニスタン カーブル
1977.8.9/渡部 瞭
アフガニスタンは「文明の十字路」といわれるが、そこに住む民族も様々で、街を歩くと実に多様な顔つきの人々と出会う。この二人はヨーロッパ人と共通する顔つきのコーカソイドと思われる男たち。
モンゴロイド系の男
アフガニスタン カーブル
1977.8.9/渡部 瞭
アフガニスタンには、純粋のモンゴル人の血を守るモゴール族も住むが、その数は少ない。しかしこの男は、皮膚の色や一重瞼から見て、明らかにモンゴロイド系の特徴を持つ。
麦の風選
アフガニスタン ワルダック
1977.8.9/渡部 瞭
アフガニスタンにおける農業の中心作物は麦類であろうが、夏には収穫は終わって、わずかに風選する光景を見るのみだった。収穫後の麦畑には、遊牧民が羊や山羊を放牧し、オアシス農民と遊牧民との相互依存関係も見られる。
牧童
アフガニスタン ロガール
1977.8.9/渡部 瞭
時折つむじ風が猛烈な砂嵐を巻き上げ、ラクダソウがまばらに生えるだけの海抜2000mを越える乾燥した高原を、鞭を片手に羊の群を追う少年。まだロウティーンであろうが、一人前の働き手だ。
ラクダの遊牧
アフガニスタン ロガール
1977.8.9/梅原正巳
駱駝は古来沙漠の船といわれ、耐乾性の強い家畜として有用であったが、近年トラック輸送の普及と共に、その頭数を減じていると聞く。西アジアの駱駝はヒトコブラクダである。
糞集めの子ども
アフガニスタン ガズニ
1977.8.9/笹尾廣巳
かつては中央アジアの歴史に勇名をはせたガズニ王朝の都城の残るガズニも、現在は寂しい田舎町に過ぎない。このウズベク人の少年が背負う石油缶には、燃料用の家畜の糞が入っている。
ガズニの水場
アフガニスタン ガズニ
1977.8.9/渡部 瞭
ガズニの水源ははるか西方の山地にあり、そこからカレーズ(地下水道)によって導かれる。先ず都市の生活用水に利用され、余りが灌漑用水に廻される。
小さな窓
アフガニスタン ザーブル
1977.8.9/渡部 瞭
内陸の乾燥圏の気候は厳しく、特に気温の較差は極めて大きい。厚い壁で囲まれた泥造りの住居は、熱風と寒気から住民を守ってくれる。窓はあくまでも小さく、明かり採りの役目のみを果たす。
ナンを焼く
アフガニスタン カンダハル
1977.8.10/笹尾廣巳
ナンはインド周辺のチャパティーと並んで、乾燥アジアの代表的な主食である。ふすまの多い、茶色っぽい小麦粉に水を入れてこね、木の葉のような形にのばしたものを、地面に埋め込まれた壺状の竈の内壁に貼り付けて焼く。
バザールの羊肉屋
アフガニスタン カンダハル
1977.8.10/笹尾廣巳
カンダハルは、首都カーブルに次ぐアフガニスタン第二の都市だが、規模は遙かに小さい。それでも家畜市場に続くバザールは衣料品・食料品・日用雑貨などの商店が軒を並べ、なかなかのにぎわいを見せる。売り手も買い手も男ばかりだ。
羊の群
アフガニスタン カンダハル郊外
1977.8.10/渡部 瞭
ラクダソウなど、とげだらけの草がまばらに生えた半沙漠地帯を行く遊牧の羊の群。ここはパキスタン国境に近いが、遊牧民にとって国境線などあれどなきが如き存在で、密輸を副業にするものも多いと聞く。
ワディの出水
パキスタン クエッタ・ピシン
1977.8.10/渡部 瞭
沙漠特有の突発性降雨によって出水したワディ。普段は水流がなく、もちろん橋もない。無理に通過しようとしたトラックは、水勢で横転した。しかし、雨さえ上がれば水の引きも速い。
扇状地とカレーズ
パキスタン クエッタ・ピシン
1977.8.11/渡部 瞭
最高峰は3500mを越すザルグン山地は、ほとんど一木一草見えない岩肌を露出させ、急斜面から押し出した土砂は、山麓の谷口に急なコーン状扇状地を形成する。扇央部に列状に見られる土砂の小山は、カレーズ(地下水道)を掘りあげた時にできたものだ。
カレーズの竪井戸
パキスタン クエッタ・ピシン
1977.8.11/渡部 瞭
カレーズの竪井戸の一つをのぞき込んだところで、直径は3m位である。粒度の粗い角礫層より成る扇状地は、掘り下げるのに相当な苦労があったと思われる。覗くと遙か底の方から水の流れる音が聞こえる。
泥造りの集落
パキスタン クエッタ・ピシン
1977.8.11/渡部 瞭
バルティスタン地方を高地と低地とに分ける中央ブラフーイ山脈の最大の通過路がボラン・パスである。ここはその入り口に当たるスペザンドの街で、ここまで鉄道は、SLの重連で昇ってくる。
遊牧民のテント村
パキスタン カッチ
1977.8.11/笹尾廣巳
中部パキスタンのカッチ平原は、地平線まで一面の泥沙漠で、植物もまばらである。そのただ中を走ると、行く手に大きな湖のような蜃気楼が現れては消える。こうした中にも遊牧民が住み、地面にひれ伏して祈りを捧げる光景を見る。
塩化した土地
パキスタン ラルカーナ郊外
1977.8.12/渡部 瞭
インダス川中流域は、多くの灌漑用運河によって潤され、水田地帯すら見られるが、激しい熱気と乾燥のため水分が蒸発して、塩分が析出した土地もある。踏み込むとザクザクと音を立て、霜柱の上を歩いているようだ。
ナツメヤシの収穫
パキスタン カイルプール
1977.8.13/渡部 瞭
乾燥アジアにおけるオアシス農業の代表的作物であるナツメヤシの収穫風景。収穫した果実は天日乾燥し、干しデーツとして出荷される。糖分が多く、極めて甘い。
綿花の栽培
パキスタン ナワプシャー
1977.8.13/笹尾廣巳
インダス川下流域は、パキスタンの代表的な商品作物である綿花栽培の中心地である。夏季は開花期で、黄色いフヨウのような花を見ることができた。
カラチ港
パキスタン カラチ
1977.8.14/笹尾廣巳
カラチはパキスタンの前の首都であり、この国最大の港湾を持つ近代都市で、街行く人々の服装も、あか抜けている。しかし、港は規模の割には閑散としていた。

1978 南・西アジア海外巡検