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ナホトカ港 |
ソビエト連邦沿海地方 |
1975.8.9/西舘義盛 |
シベリアの海の玄関口、ナホトカ港は、シホタ山脈の一脈が海に没する位置にあるため、海岸近くまで丘陵が迫り、坂の多い街である。 |
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ウランゲル港 |
ソビエト連邦沿海地方 |
1975.8.9/西舘義盛 |
アメリカ湾の西岸にあるナホトカ港に対して、東岸にはウランゲル港の建設工事が進行している。 |
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ナホトカ−ホアケアンスキー駅 |
ソビエト連邦沿海地方 |
1975.8.9/西舘義盛 |
ナホトカはウラジオストクと共にシベリア(極東)鉄道の起点だが、駅は低いプラットホームだけを持ち、貧弱な感がする。 |
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ハバロフスク市街 |
ソビエト連邦ハバロフスク |
1975.8.2/西舘義盛 |
ハバロフスク市郊外のホテルからの景観。市街が平面的に拡がり、5階建てのくすんだ色のアパートと建設中の工事場のクレーンが見える。 |
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アムール川 |
ソビエト連邦ハバロフスク |
1975.8.2/西舘義盛 |
ハバロフスクはアムール川とウスリー川の合流点の河岸段丘に立地した街で、河岸には短い夏を楽しむ諸施設も整っている。 |
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工場地帯の望見 |
ソビエト連邦ハバロフスク |
1975.8.2/西舘義盛 |
極東コンビナートの拠点ハバロフスクの工業地帯は、市の南部に集中している。 |
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第二シベリア鉄道建設スローガン |
ソビエト連邦ハバロフスク |
1975.8.2/西舘義盛 |
東シベリアの内陸部に存在する森林・銅・鉄・石炭などの資源開発を目指して、第二シベリア(BAM)鉄道の建設が1983完成を期して進められていた。 |
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ハバロフスク駅前広場 |
ソビエト連邦ハバロフスク |
1975.8.2/西舘義盛 |
駅舎は1964年改築。いうまでもなくシベリア鉄道の拠点駅。駅前には巨大な自然石の上に立つハバロフの銅像がある。 |
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レーニン像 |
ソビエト連邦ハバロフスク |
1975.8.2/西舘義盛 |
ソ連はどの町に行っても、町の中央広場はレーニン広場で、そこには姿は違っていても巨大なレーニン像があった。 |
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デパートのショーウィンドウ |
ソビエト連邦ハバロフスク |
1975.8.2/西舘義盛 |
ハバロフスクのカールマルクス通りは最大の繁華街で、公共機関や商店が集まっている。 |
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バザール(自由市場) |
ソビエト連邦ハバロフスク |
1975.8.2/西舘義盛 |
国民生活の不満を軽減するためにバザールの形式が生きている。資本主義的な商業活動がここでは公然と営まれていた。 |
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バイカル湖 |
ソビエト連邦シベリア |
1975.8.5/西舘義盛 |
海抜450mのシベリア中心部に位置し、長径635km・短径40〜80km・湖岸延長2000km・面積3.2万kuと世界9位の地溝湖だが、最大深度1620m・透明度40mは世界一である。 |
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国立農業試験場 |
ソビエト連邦シベリア |
1975.8.5/西舘義盛 |
イルクーツク郊外のこの農業試験場は、1956年創設され、3万haの面積を持ち、牛5000頭、豚3500頭、鶏5万羽を飼育している。 |
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コルホーズの農家 |
ソビエト連邦シベリア |
1975.8.5/西舘義盛 |
バイカル街道沿いのアンガラ川に面したポルシャワー・レーチカ(大河)コルホーズの一農家。 |
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イズバ |
ソビエト連邦シベリア |
1975.8.5/西舘義盛 |
ロシア語で農家の意。丸太や角材を校倉のように組んだ木造家屋で、道路面に対して、窓の位置から判るように半地下式の構造になっている。 |
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ズナメンスコイ教会 |
ソビエト連邦シベリアイルクーツク |
1975.8.3/西舘義盛 |
宗教は阿片であると否定してきたソ連も、近年はロシア正教を特に禁止しているわけではない。旧女子修道院であったこの教会でも、日曜日にはミサが行われていた。 |
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ブラーツク水力発電所 |
ソビエト連邦シベリア |
1975.8.4/西舘義盛 |
ソ連のシベリア開発のねらいの一つに、エニセイ川・アンガラ川水系の包蔵水力の開発が挙げられる。ブラーツク水力発電所は1954年着工、1961年に発電を開始した。ダムの長さ5km、高さ12m、18基の発電機が据えられ、出力410万Kwである。 |
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ブラーツク海 |
ソビエト連邦シベリア |
1975.8.4/西舘義盛 |
アンガラ川をせき止めて作られたブラーツク海は、5500kuの世界第2位の人造湖である。巨大な水面の出現によって、冬の気温が高くなるというような変化も現れている。周囲は広大な針葉樹林である。 |
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ブラーツク木材コンビナート |
ソビエト連邦シベリア |
1975.8.4/西舘義盛 |
ブラーツク海の一角、ブラーツク市の外れに大量の煙を噴き上げているのが、木材コンビナート工場である。1966年から生産を開始し、年700万立米の木材を消費している。紙の原料の漂白パルプ、繊維の原料のビスコースパルプ、自動車タイヤの芯に用いるパルプなど多種目の生産を挙げている。 |
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タイガホテル |
ソビエト連邦シベリア |
1975.8.4/西舘義盛 |
56゚Nに位置するブラーツク市の1975年8月4日、14時37分の気温は23℃であった。高緯度であるため、夏の1日は長く、冬の1日は短い。7月の平均気温は19℃であるのに対して、1月の平均気温は-23℃位で、気温の年較差は40℃以上である。 |
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