県央・県北地区No6-04  橋の上にマンホール蓋がある!?(海老名市)

2008年7月作成

 

写真①を見ていただきたい。これは、海老名市内の大谷と国分寺台との町境の東名高速道路を横切る橋の一部である。欄干の向こうに疾走する車が見えるが、手前にはなんとマンホール蓋が写っている。それも海老名市内であるこの地になぜ横須賀市章の入った蓋があるのだろうか? 

でも、なぜ、橋の上にマンホール蓋があるのだろう。本来マンホールは地中の管路への入り口のはず。しかし、ここは橋の上、蓋の下は道路それも高速道路。そうなんです。この橋とマンホール蓋という奇妙な取り合わせの訳は、この橋が横須賀水道路(水道みち)の一部であることに原因があるのです。

 つまりこの橋の下には愛甲郡愛川町から横須賀までの水道管が隠れているのです。水道管内に空気が溜まると通水障害を起こすため、そうした余計な空気を抜く調整弁が必要。そうした空気弁がこの蓋の下にあるのです。この橋には他に二箇所、橋の両端にも蓋がありそれぞれその下に空気弁があるそうです。

 横須賀には明治初期にフランス人技術者たちにより製鉄所や造船所が建設され、必要とする水は走水の(横須賀市走水)の豊富な湧き水を利用しようと、1876(M9)年に走水から横須賀造船所の間約7kmに水道を敷設した。

その後横須賀製鉄所は横須賀海軍工廠となり、その拡張が進むと水不足が深刻化し、新たな水源が必要となった。そこで帝国海軍は愛川町半原に水源を求め、横須賀市逸見の浄水場までの53kmに導水管を敷設した。水道管はひたすら真っ直ぐに横須賀を目指し、途中にトンネル12箇所、橋は10本架けた。そして電気などの動力は使用せずに、半原と逸見の高低差70mを利用するという自然の力だけで送水。工事は1912(M45)年から1921(T10)年にわたり、その後何度かの改良を加えているが今日でも立派な現役である。

 写真②は道標。つまり「水道みち」であることを示すコンクリート製の石柱である。道標の正面には海軍の所有であることを示す漢字の「海」が表記され、その上にアルファベットの「M」を二つ重ねて波模様を思わせている。この「水道みち」は横須賀市の管理のために、例えば、海老名市内に「横須賀市営の駐車場」という形で利用されたり、公園や遊歩道などとして利用されている。

                        【県立上溝南高校 垣下 嘉徳】



写真1  東名高速道路上の人孔蓋 


 


写真2   横須賀水道の「道標」


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