県央・県北地区No6-17 「日本のTVA計画」とよばれた相模原畑地灌漑用水

(相模原市)

2012年2月作成

 

1.用水路の開発

相模原畑地灌漑用水路は、戦後の食糧難を補うため、1949(昭和24)年に「県営相模原畑地灌漑事業」として着工され1963(昭和38)年に完成したものである。この事業は1930年代にアメリカ合衆国で進められた「テネシー川流域総合開発事業(TVA)」にならって「日本版TVA計画」とよばれた。

 用水路は、相模川の久保沢分水槽(緑区久保沢)を水源とし、虹吹分水(中央区陽光台)で横浜水道から分水した水を「東西分水工」(南区大野台)で「東幹線用水路」・「西幹線用水路」に分け、相模原から綾瀬・藤沢に至る台地の畑地約2700haを灌漑し、陸稲などの農作物の増収をはかるために作られた。県が建設した幹線水路・支線水路・配水路の総延長は約93km、利用者組合が建設した支線・末端水路は約71kmに達した。しかし、完成とほぼ同時期に市街地化により、農地の住宅地や工業用地への転用が急速に進んだ。そのため、農業用水としての役割が少なくなり、1970(昭和45)年には利用者組合も解散して、通水は完成後の数年間行われただけで終わってしまった。

 水が流されなくなった用水路は、整備されることなくそのまま残されていたが、子どもたちにとっては中を歩いて探検するなどの遊び場となっていた。雑木林の中を用水路が通っている場所では、夏になると用水路内や用水路の土手を歩きながらカブトムシなどの昆虫を捕りに行く多くの子どもたちの姿があった。しかし場所によっては、ゴミが投げ込まれるなどして環境悪化の一因になるケースがあり、用水路の暗渠化を求める動きがでてきた。


写真1 用水路跡



写真2 用水路跡



写真3 用水路配水路跡 



写真4 用水路水門跡


2.用水路の今

用水路の跡地は、1975(昭和50)年頃から県によって暗渠化され、アスファルトやブロック舗装による歩行者・自転車の通路、ベンチなどの休憩施設、市の花であるあじさいなどの植栽、花壇などに整備された。「東幹線用水路」と「東幹線用水路大野支線」を整備したものは「相模緑道緑地」、「西幹線用水路」を整備したものは「さがみの仲よし小道」と名付けられた。用水路跡は、2002(平成14)年度から2008(平成20)年度にかけて市に移管された。用水の設備は、南区大野台の相模原中央緑地(木もれびの森)内や南区麻溝台の相模原麻溝公園南東側付近など市内に数か所に残っている。このうち相模原ゴルフクラブ内にある「東西分水工」と相模原中央緑地内の「大野支線」の一部が、2003(平成15)年に相模原市有形文化財に登録され保存されている。

登録文化財に指定されていない相模原麻溝公園南東側付近の道路に沿った用水路は、ゴミの投げ込みがひどく、ゴミで埋もれている状態になっている。また、道路から離れた所にある用水路は、草で覆われて用水路だとわかりづらい状態になっている。市によって草刈りやゴミの整理など整備が行われているので、整備された後は用水路がはっきりと確認できるようになるが(写真1,2)、道路沿いの用水路はいつのまにかゴミで埋もれてしまう。

いっぽう整備された「緑道緑地」(写真5)・「さがみの仲よし小道」(写真6)は、生活の道・遊歩道・住民の憩いの場などとして地域にかかせないものとなっている。地域住民による花壇の水やりや雑草取り、ゴミ拾いなども行われている。緑道で遊ぶ子ども、四季折々の変化を楽しみながらウォーキングやサイクリングをする人の姿もある。

【相模原青陵高校 安田 直樹】


写真5 「緑道緑地」 



 写真6 「さがみの仲よし小道」


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