横須賀三浦地区3-2 渡し船は横須賀市道 (横須賀市)     

2008年6月作成

 

1.昔ながらの渡し船

 浦賀湾は奥行き約1.5キロの細長い湾である。その地形を利用して昔から港が発達し、港を挟んで両岸には細長い市街地が形成された。その両岸を、今も懐かしい姿で結んでいるのが渡し船である。

 その歴史は古く、江戸時代の1720(享保5)年に浦賀奉行所が置かれて間もない1725(享保10)年ごろから記録に表われ操業が確認されている。1876(明治9)年編纂の皇国地誌には民営の渡船と記述され、1917(大正6)年には当時の浦賀町営となり、1943(昭和18)年、横須賀市との合併に伴い横須賀市営となった。第二次大戦後、運航は民間に委託されるが、現在でも市営のままで、しかも、なんと「市道2073号」というれっきとした市の道路で、市の土木部が管理している。現在使われている船は1998年から運航している愛宕丸という船であり、名前募集により「浦賀海道」という愛称もつけられている。江戸時代の「御座船(ござぶね)」をイメージした船が、約270mの航路を3分ほどで結んでいる。ちなみに、一見木造風であるが強化プラスチック製の船である。

 朝7時から夕方6時まで運航され、大人150円で乗ることができる。蔵造り風の建物がある乗船場には乗船ボタンがあり、対岸に船がいてもボタンを押せば来てくれる。湾を挟み東西を移動するためには、バスは湾奥の浦賀駅で乗換えとなるため不便であり、歩くと30分以上はかかる道のりである。一方渡船は自転車も乗せることができ、今でも近隣の住民の利用は多い。また、最近では数分の船旅を楽しみに観光客も乗りに来る。


2.船が結ぶ叶神社

 船が結ぶ両岸には昔からの町並みがまだ残っている。いくつか蔵も残っており、西浦賀の渡船場の前には「紺屋町」という名のバス停もあって、江戸時代に干鰯問屋や回船問屋でにぎわった町の様子をうかがい知ることができる。

 その東西の浦賀町には、港を挟んでそれぞれに叶神社と名乗る神社が、小高い丘の上から町を見下ろしている。二つの叶神社は、1181(養和8)年、京都高尾山神護寺の文覚上人が、源氏の再興を願って岩清水八幡宮を勧進し、その後頼朝により平家滅亡の願いが叶ったため「叶明神」の称号が与えられたと伝えられている。東叶神社の裏山の明神山には、勝海舟が咸臨丸での太平洋横断前に断食した場所が残っている。また、西叶神社には、九月の祭礼で、県指定無形民俗文化財に指定されている「虎踊り」が奉納される。東叶神社の一対の狛犬は左右とも口を閉じているように見える一方、西叶神社の狛犬はいずれも口を開けているように見え、東西で一対となっているとの説もある。最近は「二つの叶神社にお参りすると願いが叶う」などと京浜急行も宣伝するようになった。

【県立津久井浜高校 野本聡】



写真1 東西浦賀を結ぶ渡し舟(2007年12月撮影)

                


写真2 渡し船の渡船場 料金は2009年3月現在大人150円(2009年3月撮影)



写真3 東叶神社(2007年12月撮影)



写真4 東浦賀町に残る蔵(2007年12月撮影)                 



写真5 市の史跡めぐり案内図(2007年12月撮影)


               

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