横浜地区No1-12  戸塚駅西口の再開発2 (横浜市戸塚区)

2009年3月作成

 

1.戸塚駅西口商店街

東海道に沿った商店街と駅の発展とともに拡大した西口駅前の商店街は、食品、雑貨などの日用品を中心とする小規模店舗が軒を連ねていた(写真1)。メインストリートは車1台が通行できるほどの街路が縦横に走り、よくいえば庶民的で気軽に買い物ができる空間であった。一方で、バスターミナルは2箇所に別れ、東海道に沿った「戸塚バスセンター」は駅から西口商店街を挟んだ300m西方に位置し、商店街の朝夕は乗り換えの通勤通学者であふれていた。再開発前の商店街は、旭町通商店会、西口商店会など6つの商店街からなり、309の店舗で「戸塚駅西口連合商店会」が構成されていた。

旧版の2万5千分の1地形図を見ると、戸塚駅は東海道線に並行する柏尾川の氾濫原に位置し、東海道の宿場町は駅の西方の氾濫源よりも1~2m高くなった丘陵の緩斜面上に並ぶ。氾濫原に商店が並ぶのは国鉄戸塚駅の設置以降で、柏尾川に近い商店街周辺には1950年頃まで水田がみられた。西口商店街は戦後の闇市を起源にしているという一説があるが、大正時代には宿場町由来の商店街と戸塚駅との間にある西口商店街の骨格は形成されている。柏尾川寄りの西口商店街の一部は低湿地上に闇市が開かれていた可能性はある。このように近世・近代を通じて発達してきた商店街は再開発によって一新されていく。


2.商店街の再開発

1962年に戸塚駅西口・東口の再開発事業の計画が横浜市によって決定された。1982年にまず東口の再開発事業が始まり、1990年に丸井(現・モディ)などの商業施設とバスターミナルが完成した。1994年には西口の副都心機能の充実を目指して商業施設を建設する計画が立てられた。

西口の再開発事業は、既存の商店街を取り壊し、面積4.3haの土地に新たに商業施設とバスターミナルを建設する計画である(写真2)。したがって、既存商店街にとって経済性が損なわれる可能性があることから、都市計画の内容は3度の変更がなされたのち、計画から13年後の2007年に商店街の解体工事が始められ、2010年秋のバスターミナルと大規模駐輪場、2011年春の商業施設、2012年秋の区役所などの公共施設の完成へ向けて建設が進められている(写真3)。旭町通商店会は1991年には99店舗が、西口商店会には90店舗が加盟していたが、2008年にはそれぞれ再開発区域外の30店舗、32店舗となり、戸塚西口連合商店会は旭町通と西口の2商店会のみを残して解体した。商店街にあった店舗は移転するか、一時的に仮設店舗ビル「戸塚ウエスト」で営業することになる。戸塚ウエストに入った旧商店街店舗の多くは、建設中の商業施設内で営業することになる。

【公文国際学園高等部 中村洋介】



写真1 商店が密集していた西口旭町通商店街(2007年7月撮影)



写真2 取り壊される西口旭町通商店街(2007年7月撮影)



写真3 開発が進む戸塚駅西口と「戸塚ウエスト」(2008年11月撮影)


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