横浜地区No1-11  戸塚駅西口の再開発1 (横浜市戸塚区)

2009年3月作成・2012年3月一部変更

 

1.宿場町から鉄道・バスのターミナルへ

戸塚の街は、1604年に置かれた東海道の宿場町を起源とする。東京・日本橋から9里半(38km)の距離にあり、早朝に江戸を発った旅人が最初に泊まる宿場として賑わい、神奈川県では小田原に次ぐ規模の宿場町として栄えた。1887年に横浜まで開通していた東海道線が延伸して、宿場の東方に国鉄戸塚駅が開業した。1930年代になると柏尾川沿岸に日立などの工場が進出し、1950年代以降は郊外住宅地の発展によって著しく人口が増加した。

JR東海道線・横須賀線の戸塚駅は、1980年に通過していた東海道線が停車するようになり、1日平均乗客数は105,904人(2007年)で、神奈川県内では横浜駅、川崎駅に次ぎ利用客が多い駅になった。今日では東京郊外のベッドタウンとして機能している。1999年には戸塚を終点としていた横浜市営地下鉄が湘南台駅まで延伸され、1日平均乗客数は39,064人(2007年)になり、戸塚駅は鉄道のみならず周辺地域を結ぶ多くのバス路線が集まっており、ターミナルとして機能している。


2.開かずの踏切にアンダーパス(立体交差化)

現在、戸塚駅西口の再開発が進むが、それと同時に、戸塚駅北側に隣接する東海道(国道1号線)とJR線の踏切の下に、アンダーパスの計画が進行中である。「開かずの踏切」と「午前6~9時と午後4~9時の車両通行止め」規制によって、往来が遮断されていた西口と東口の交通事情を改善する道路が、建設されている(写真1)。

2008年現在、平日の最も本数の多い午前7時台には上下47本、午前8時台には上下56本の列車が走り、これに貨物線が加わる。最大で約1時間、遮断機が上がらない「開かずの踏切」は、1950年代にはすでに問題となっていた。その状況をよく反映するエピソードに、当時の首相であった吉田茂が大磯の自宅から東京・永田町へ通勤する際、「開かずの踏切」に耐えかねて、踏切を迂回する国道1号線のバイパスをつくったことがよく知られる。東海道線・横須賀線の上にかかる戸塚跨線橋は1953年に完成し、この道路は首相の俗称から「ワンマン道路」とよばれている(写真2)。正月に東京-箱根間を往復する箱根駅伝は、かつては、本来の東海道である踏切を通るコースであったが、現在はランナーが踏切で止まることがないように、迂回するワンマン道路を走っている。

アンダーパスの完成は2012年の予定である。戸塚駅西口の商業施設とアンダーパスの建設によって戸塚駅周辺は新たな時代へ動き出している。

【公文国際学園高等部 中村洋介】



写真1 アンダーパスが建設される「開かずの踏切」(2008年11月撮影)



写真2 通称ワンマン道路戸塚跨線橋(2009年3月撮影)


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