川崎地区No2-9 しんゆり・芸術のまち 新しい川崎の顔の誕生(麻生区)

2009年9月作成

 

1.工業都市から文化都市への変貌

 川崎市は日本経済全体の産業構造転換に伴い1990年代以降、工業出荷額が低下し、臨海工業を中心する都市からの転換を迫られ、新しい街づくりを模索し、それらが「川崎新時代2010プラン」や「川崎再生フロンティアプラン」に大きく反映している。それらは工場跡地再開発による近代的商業施設(代表例:JR川崎駅前のラゾーナ)などと並んで文化・芸術などのソフトの集積による魅力と活力有る街づくりに重点をおいている。

 1980年代に進んだ大規模住宅開発により、82年に97,726人だった麻生区の人口は92年には129,223人へと着実に増加している。これらの住宅地は戸建や質の高い集合住宅が多く(個建居住率37%持ち家率57%:2005年)、この増加人口の大半は都心への通勤者(東京都23区へ37%:2005年)であり、比較的高所得(世帯年収約820万円:2004年)の人々が多く住んでいる。

 芸術家や芸術と文化を愛好する市民の文化活動は活発であり、1985年の麻生文化センター(麻生市民館=ホール、図書館)の設立、運営に力を発揮し、1986年には麻生音楽祭発足の原動力となった。そして、1986年日本映画学校、1989年昭和音楽芸術学院が北口に誘致され、今日の「しんゆり・芸術のまち」構想の萌芽が形成された。また1997年にはしんゆり映画祭も立ち上げられた。



写真1 第23回麻生音楽祭2008年(麻生区役所提供) 市民のさかんな芸術活動がまちづくりの原動力


 一方 1990年神奈川県が発表した「多摩田園芸術と科学の回廊構想」を受け、川崎市は翌91年「芸術のまち基本構想調査報告書」を作成し、新百合ヶ丘駅周辺地域を芸術のまちとする基本構想が明らかにされた。1993年策定の川崎市総合計画「川崎新時代2010プラン」では新百合ヶ丘地区を高次な都市機能の集積を図る都市機能拠点(新都心)として位置づけるとともに、「芸術と文化の香りにつつまれた区の中枢機能のまちづくりをめざす」として麻生区の芸術のまちづくりが明文化された。

 2005年の川崎市新総合計画「川崎再生フロンティアプラン」では重点施策プラン8 川崎の魅力を育て発信する取組で「音楽のまち・かわさきの推進」とともに 施策計画において万福寺地区(新百合ヶ丘駅北)のアートセンター整備、芸術のまち構想(麻生区)の推進が盛り込まれた。 このような経緯を経て2007年には川崎市アートセンターの開設、昭和音楽大学の移転が達成された。また、2008年には「しんゆり・芸術のまちづくり」フォーラムが結成され、地域の諸団体との連携を図りながら、新百合ヶ丘駅周辺に集積する芸術関係施設や人材などの地域資源を生かした街づくりを推進している。新百合ヶ丘駅周辺は今まさに大きく変貌しつつあるが、それは単なる巨大化ではなく芸術を核として人々の内面的ゆたかさを膨らませる中身の濃い進化を目指しているようだ。

                                             

2.「しんゆり・芸術のまち」を構成するおもな施設

①日本映画学校

 前身は映画監督・今村昌平が1975年横浜駅前に開校した『横浜放送映画専門学院』。1985年川崎市、小田急電鉄、映画各社等の協力により、学校法人神奈川映像学園が設立され、翌年に新百合ヶ丘駅北口に校舎が完成・移転、3年制の専門学校とし、名称を『日本映画学校』に改める。学校長は映画評論家佐藤忠男氏、これまで多くの人材を映画界に送り出し、日本初となる映画教育・研究専門の「日本映画大学」(仮称:総定員640名)の開校を目指している。   



写真2 昭和音楽芸術学院(左)と日本写真学校(右)

駅南口の目の前にある二つ施設はしんゆり・芸術のまちの端緒をつくった昭和音楽芸術学院は現在昭和音楽大学北校舎として使用


②昭和音楽芸術学院、昭和音楽大学 

  1989年 東京声専音楽学校を昭和音楽芸術学院と改称、新百合ヶ丘に移転する(2006年度末閉校)。2007年4月に昭和音楽大学が厚木より、新百合ヶ丘駅南口を右斜め方向に徒歩4、5分の新キャンパスに移転し、大学、短大、大学院併せて約1500名の学生が学び、「しんゆり・芸術のまち」の大きな構成要素が誕生した。日本の音楽界でいち早く「総合的なオペラ教育」を理念に掲げ、オペラ公演も可能なコンサートホール「テアトロ ジーリオ ショウワ(1,367席)」の施設も地域文化の振興に大きく貢献すると思われる。



写真3 昭和音楽大学 (2009.8撮影) 



写真4 テアトロ ジーリオ ショウワ (同大HPより) 

                 

③川崎市アートセンター   芸術を創り、育て、楽しむ”センターとして

 川崎市アートセンターは2007年10月に新百合ヶ丘駅北口から徒歩3分の麻生区万福寺の新しいまちの入口にオープン、光溢れるガラス張りのエントランスが特徴的な3階建ての建物となっている。小規模ながら広さ十分の舞台と観やすさを追求した195席の劇場[アルテリオ小劇場]と113席の映像ホール[アルテリオ映像館]を中核的な施設とし、芸術を創造する場となる映像編集室などの他、市民や芸術家がアートを介して交流する場となるコラボレーションスペースなどの多様な施設を備えている。



写真5  川崎市アートセンターと 新ゆり山手の入り口のマンション(右)



写真6  アルテリオ小劇場 (川崎市アートセンター提供 )

   195席の本格的な劇場では、新百合ヶ丘でしか観られない演劇やダンスを毎月上演

【麻生総合高校 斉藤 正】

《参考文献》

地図で辿る思い出のふるさと(柿生・岡上百年会:2007年)

ふるさとは語るー柿生・岡上のあゆみー(柿生郷土史刊行会:1989年)

あさお区ってどんな街?(麻生区役所:2008年)

《資料提供、取材協力》

川崎市麻生区役所地域振興課   

川崎市アートセンター


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