県央・県北地区No06-05 大和市の南の玄関口・高座渋谷駅前再開発事業   

(2008年11月作成)

 

1. 古くからの集落・高座渋谷

大和市は細長い市域を持ち、南北に貫く小田急江ノ島線の駅は市内で6駅を数える。昭和に入り、小田急線と相模鉄道線の結節点である大和駅周辺が繁華街となったが、矢倉沢往還(大山街道、現246号線)沿いの鶴間駅周辺地域の歴史も古い。1970年代以降には、北部の東急田園都市線沿線の開発が進展し、路線も1976年にはつきみ野駅、1984年には中央林間駅まで延伸された。このような状況を背景にして、市内には規模が異なるものの、いくつかの「まちの核」づくりが想定されている。 

高座渋谷駅周辺は、かつての相模国高座郡の中央に位置しており、平安時代末期には渋谷の庄司、渋谷重国の館があったとされている地域である。江戸時代には、域内を藤沢宿から八王子宿にいたる八王子街道が南北に通過していたが、これは古くは滝山街道ともいわれ、戦国時代の後北条氏支配下では玉縄城と八王子城を結ぶ重要な街道でもあった。戦後は、高座郡渋谷町として人口約9000人をかかえ、当時の県下108町村の中でも、上位の規模を持つ自治体であった。前身の渋谷村は、長後村、高倉村、福田村、上和田村、下和田村の5村が合併して成立した自治体である。渋谷町(1944年渋谷村は町制施行)は、戦後の「昭和の大合併」の際、合併問題が議会において決着がつかず紛糾し、結局「分町」という選択になった。長後や高倉などの南部地区は、藤沢市に編入された。一方の北部地区は「渋谷村」として分離され、その後、1956年に大和市と合併した。

高座渋谷駅の開業は、小田急江ノ島線開業時の1929年であり、隣の桜ヶ丘駅の開業が戦後の1952年であるのより古い。このような高座渋谷駅周辺の地域は、古くからの集落も多く結果的に家屋や商店が密集して道路や駅前広場は狭隘な状態のままであり、以前は駅改札口も東側だけにあった。そのため2002年10月に大和市による小型のコミュニティバス(運行委託は神奈川中央交通)の実験運行開始まで路線バスも駅前に入ることが出来ず、防災面も含めて生活環境上、色々な課題が指摘されていた。

なお余談になるが、周辺の地形の関係で、地平駅である高座渋谷駅ホ-ムの下を、新幹線がトンネルで通過する特徴的な構造になっており、駅の西側区画整理地区では掘割で通過している。


写真1 藤沢方面から見た高座渋谷駅の全景



写真2 従来からあった東口改札と駅前広場



写真3 高座渋谷駅のホーム下を通過する新幹線



2, 新しい「大和市の南の玄関口」の建設

大和市では「大和市の南の玄関口」にふさわしい街づくりを目標に、都市計画事業として渋谷(南部地区)土地区画整理事業を実施している。施行区域の決定は、1960年に遡るがその後、施行区域が市の北部地区と南部地区に分割された。渋谷(南部)地区については、1993年に事業化説明会が開かれ同年、県知事から設計概要について認可され事業計画決定の公示がなされた。これに先立つ、1989年には渋谷(南部地区)まちづくり検討委員会が発足して、将来に向けた具体的な街づくりの内容・要望等が検討された。これらを踏まえ、東西の駅前広場の整備、西口改札の新設、文化複合施設の設置などが要望された。

このうち文化複合施設については、駅東側にある老朽化した市役所渋谷分室や渋谷学習センタ-、図書室等の移転建替え等を視野に入れたものであった。2008年8月に着工されたこのビルには、公共施設の他に、銀行やスーパー、フィツトネス施設などの民間テナントの入居も予定されている。計画では、2009年12月には民間施設のオ-プン、2010年3月には公共施設の開館を予定して建設を進めている。道をはさんで向かい側には、高座渋谷・多目的ホ-ル(仮称)も着工され完成間近になっているが、この建物は柱などに使用される木材の100%全てを県内産(南足柄市や山北町産のムクの木)でまかなうという「地産地消」ということで大いに注目を集めている。

 新設された西側商業モ-ルは、市内初の歩行者専用道路に面した商店街というコンセプトであった。この渋谷(南部地区)土地区間整理事業は、小田急線をはさんで東西両側の地域を対象にしているが、西側地区から先行して事業が進展した。1998年の第一回仮換地指定以来、数回にわたって移転が進行し土地区画整理が実施された。この間、2004年には、駅前の市立渋谷中学校が下和田地区に移転して敷地は更地となり、西側地区は目に見えて区画整理が進展した。その後、駅西口改札および西口駅前広場が開設され、2006年4月1日には「街びらき」の式典が挙行され、高座渋谷交流フェスティバルが開催された。まだ全面的な完成ではなく、西口駅前には区画整理された空き地が広がっているものの、コンビニ等の商業施設の進出は始まっている。

小田急線と国道467号線(藤沢町田線)にはさまれた東側地区の区画整理事業についても、工事が本格的に着工されている。2008年に入って、かなりの地区で建物の移転・撤去等が始まり、土地区画の整地や都市計画道路の造成等も進行している。長い間、そこで生活していた地元の人々のことを考えると単純には喜べない側面もあるが、「大和市の南の玄関口」として、これからの街の発展と変貌が大いに注目されている。

【県立大和南高校 小澤俊彦】

写真4 渋谷(南部地区)土地区画整理事業の計画図



写真5 駅前複合ビルの完成予想図



写真6 新設された西口改札と駅前広場



写真7 地産地消の材木による完成間近の多目的ホール


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