湘南地区12&県央・県北地区17 相州落花生の老舗が並ぶ旧中郡(二宮町・秦野市など)
2011年作成
湘南地区12&県央・県北地区17 相州落花生の老舗が並ぶ旧中郡(二宮町・秦野市など)
2011年作成
1 旧中郡一帯から始まった日本の落花生栽培
秦野市や二宮町など旧中郡一帯は、古くから落花生の産地として知られ、「相州落花生」として県の「新かながわの名産100選」に選ばれている。この付近は、海岸沿いは砂混じりの土壌、秦野盆地は火山灰が堆積した土壌で、水はけがよく通気性がよいことが落花生の栽培に適している。
日本で最初に落花生が栽培されたのは、現在の大磯町西部にあたる(旧)国府村であった。1871(明治4)年に国府村の渡辺慶次郎が横浜を訪れた際に出された落花生が美味しくて、タネを持ち帰って栽培したという。当時の落花生は外国人が輸入して食べていたに過ぎず、日本人にはほとんど知られていなかった。落花生はその名のとおり、花が咲いた後に花の基部から子房柄が伸び、やがて土の中に潜って土中で実をふくらませるが、当初は下に向かって伸びたのでてっきり栽培に失敗したと思ってしまったというエピソードが伝えられている。翌年には、現在の二宮町の二見庄兵衛も落花生の栽培を始めたというので、いずれにせよ大磯・二宮が日本の落花生栽培の発祥の地である。ちなみに1874年になると政府がアメリカ合衆国から落花生のタネを輸入して各地に配布し始め、現在の主産地である千葉県では1876年に神奈川県からタネを入手して栽培が始められている。
2 県内の主産地は秦野市へ
しかし第二次世界大戦中は、落花生は嗜好作物とされてさつまいもなどへの転作が進み、一時姿を消してしまった。第二次世界大戦後に落花生栽培が再開されると、秦野市がその中心となった。
現在の日本における落花生の都道府県別の生産量(2009年)は、千葉県15,300トン、茨城県2,880トンとこの2県で全国生産量の8割を占めているが、神奈川県は458トンで全国3位となっている(財団法人全国落花生協会HPによる)。県内の主な産地は、秦野市が県内生産量の半分弱を占め、次に中井町、平塚市、伊勢原市と続いている(2005年)。
秦野市では、かつて落花生をたばこや陸稲などと輪作していたが、たばこや陸稲は姿を消してしまっている。一方落花生は栽培が続けられており、今日では秦野市名古木などでは落花生掘りの観光農園もある。
3 旧中郡に集中する落花生専門店
落花生の流通は、他の作物に比べて農協を経由する割合が低く、栽培農家から毎年同じ加工業者や仲買人に直接買われていくことが多いという特徴がある。旧中郡一帯には、落花生を加工して莢いり落花生、塩落花生、砂糖豆、バターピーなどを製造している落花生の専門店が何軒も見られる。使用する原料豆も量的には千葉県産や中国産が多いが、品質のよい地元産の落花生を確保するため農家と契約している店もある。
また9月末から10月上旬の収穫期には、掘りあげられた生の落花生が地元の直売所や八百屋などで売られている。生の落花生は塩ゆでにして食べるのが、神奈川に限らず産地ならではの食べ方である。この塩ゆで落花生が大好物という人も多く、地元スーパーでは冷凍の塩ゆで落花生が時おり売られることもある。JAはだのでは、冷凍ゆで落花生を「うでピー」という名で特産物として売り出しており、イメージキャラクターも作られた。「うでピー」とは、ゆでることを秦野では「うでる」と言うことから命名されたものである。
【県立鶴嶺高等学校 能勢博之】
写真1 7月の落花生、黄色い花が咲いている(2008年撮影、大磯町)
写真2 収穫時の落花生、莢の部分は土中にある(2008年撮影、大磯町)
写真3 二宮町の落花生専門店(2011年撮影)
写真4 二宮町の落花生専門店、看板の形も落花生の形である(2011年撮影)
写真5 大磯町の落花生専門店(2011年撮影)