西湘地区No5-5 小田原商業の中心となった巡礼街道(小田原市)
2010年4月作成
西湘地区No5-5 小田原商業の中心となった巡礼街道(小田原市)
2010年4月作成
1 小田原駅周辺の大型店・商店街の衰退
城下町・宿場町であった小田原は古くから商業が栄えてきた。1959(昭和34)年に東口駅前に箱根登山デパートが開業するなど、1960年代・70年代には小田原駅東口の中心商店街へ続々と大型店舗が建設され、小田原市だけでなく周辺の市町からも多くの客を集めていた。
しかし1990年代以降は、バブル経済の崩壊の影響、小田急沿線の客が小田原の中心商店街から本厚木駅周辺の新しい店へと流れるようになったこと、そして後述する郊外型ショッピングセンターの登場などにより、小田原の中心商店街の大型店店舗に大きな変化が訪れた。最初に閉店したのは、当時は西武百貨店志澤店で1998(平成10)年のことであった。もともと小田原資本の百貨店として地元では志澤のブランドは絶大で、一時は平塚・藤沢などにも支店があった。このため経営不振から西武百貨店に吸収された後も、店名に志澤の名が残されたものである。小田原商業のシンボル的な存在であった志澤が消えたことは、地元の人々に大きな衝撃を与えた。現在その跡地は「万葉の湯」となっている。
この他、長崎屋(1971年開業→現在はドン・キホーテに)、ニチイ(1972年開業→現在はテナントビルであるアプリに)、地下街の「アミーおだちか」(1976年開業、2007年閉店)、1993年には専門店のテナントが多い西友系のEPOが開業、2002年に駅前の丸井が閉店、2005年に小田原駅の改築に合わせて駅ビル「ラスカ」が開店するなど、2000年ごろからは大型店の閉店や業態の変化が目立つ。
以前に比べると小田原駅前の中心商店街の集客力も低下しており、駅から少し離れた銀座通りやその付近では、商店の跡地がマンションや駐車場となっている場所が目立つ。
写真1 中低層の商店が並ぶ銀座通り商店街 左側にある黄色の縦の看板がEPO
2 工場跡地がショッピングセンターとなった巡礼街道沿い
これと対称的なのが鴨宮駅の近くの巡礼街道沿いで、郊外型ショッピングセンターが次々できて多くの客を集めている。こうした駅前から郊外へ商業の中心が移ることは小田原に限ったことでなく、全国的に見られる現象である。
巡礼街道と呼ばれているのは、JR国府津駅の近くから坂東三十三観音の第5番札所である飯泉観音(正式には飯泉山勝福寺)に向かう道である。飯泉という地名からもわかるようにこの地域は地下水が豊富だったほか、酒匂川には飯泉取水堰が設けられ県営水道などの水源となっている。このように豊富な工業用水と平坦な土地が注目され、1950年代から巡礼街道沿いに多くの工場が進出した。
しかしバブルが崩壊した1990年代になると工場の閉鎖や移転が相次いだ。巡礼街道沿いで現在操業中の工場としては、日立グローバルストレージテクノロジーズの日本本社・小田原事業所(1966年設立、ハードディスクのヘッド技術開発など)、クボタ松下電工外装(1967年設立、屋根材の製造)、ライオン(1964年設立、歯磨き・バファリンの製造)などがあげられる。(注・各工場とも名称・製造品目は現在のものである)
閉鎖・移転した工場の跡地には、次々と郊外型のショッピングモールが建設されている。その先駆けとなったのが、1953年に操業を開始したダイドーリミテッド(旧・大同毛織)小田原工場の跡地で、現在のダイナシティというショッピングモールの半分強を占めている。1993年にまず現在のDynacityEAST(イトーヨーカ堂と専門店街)が開業し、2000年にはDynacityWEST(ロビンソン百貨店と専門店街)が、そして2002年にDynacityWALK(シネマコンプレックスや飲食店)が開業した。
また、アマダ(金属加工機械の製造)の小田原工場跡地には、1999年開業の小田原シティーモール・クレッセ(コナカ、ニトリ、トイザらス、地元スーパーのヤオマサなど)と、2008年開業の小田原シティーモール・フレスポ(ノジマ、しまむら、ダイソーなど)が作られている。
この他、巡礼街道沿いにはさまざまな郊外型の店舗・飲食店が並び、土日には買い物客の車で大渋滞するようになるなど、すっかり小田原商業の新しい中心となった。
【鶴嶺高校 能勢博之】
写真2 巡礼街道右手にショッピングセンター「クレッセ」が見える
写真3 DynacityWESTにあるロビンソン百貨店