湘南地区No.14  自由民権の里、平塚市金目(かなめ)地区

 2012年10月作成

 

1.金目観音堂で有名な金目地区

 金目川(下流では通称「花水川」)が南へと向きを変える平塚市北西部の金目には、坂東三十三ヶ所観音霊場第七番札所として知られる光明寺(通称「金目観音」)がある。縁起では大宝2年(702)に小磯の浜で観音小像を感得したのが始まりと伝えられ、本尊は聖観音である。

 金目は江戸時代から寺子屋での教育が盛んで、明治時代には自由民権運動の拠点の1つとなった。1889年に町村制が施行され、周囲の村が合併し大住郡金目村となり、さらには1896年に大住郡と淘綾(ゆるぎ)郡が合併すると中郡金目村に、そして1957(昭和32)年昭和の大合併の時に平塚市に編入された。


2.自由民権運動がさかんであった金目

 1880(明治13)年に国会開設請願運動が大きな潮流となり、その際に金目では戸長であった宮田寅治、猪俣道之輔、森鑅(えい=金へんに栄という字)三郎らが請願署名を集めるのに大きな役割を果たした。彼らは、翌年大磯で結成された民権結社湘南社で活躍し、やがて金目観音堂で開かれた演説会では宮田と猪俣が植木枝盛と並んで講演を行っている。自由民権運動は明治20年代になると解体していったが、彼らを始めとする金目の人々の高い民権意識は教育や福祉へと向けられた。


3.教育や福祉に力を注ぐ

 宮田と猪俣はキリスト教に入信し、金目に教会堂を建設した。また、キリスト教信者など志を同じくする人々と廃娼運動を進めて、県議会での公娼廃止の建議案の可決に成功した。

 そして1886(明治19)年には大住郡、淘綾郡、足柄上郡による三郡共立学校が金目の宗信寺に開校した。これが現在の県立平塚農業高校と県立秦野高校の前身にあたる。また1910年には、地元で鍼灸業を営んでいた秋山博が視覚障害者のために開いていた鍼灸講習会を、宮田の助言と援助で正規の学校とした。これが私立中郡盲人学校であり、現在の県立平塚盲学校の前身にあたる。視覚障害者に対する差別や偏見も強かった当時、人々が私財を投じて運営したことは特筆に値する。

 この他、1908年には県内でも古い図書館の1つである金目村通俗図書館が開館するなど、金目の人々が教育・福祉に非常に熱心だったことがわかる。

 1987年には「平塚金目・自由民権の里」として、神奈川県が選定した「かながわのまちなみ100選」の1つに選ばれた。地域の歴史的遺産を巡るためのパンフレットや地図の看板も用意され、気軽に歴史散歩ができるようになっている。

【県立小田原高校 能勢博之】



<写真1>光明寺本堂(金目観音堂)



<写真2>「三郡共立学校発祥地」の碑(宗信寺)



<写真3>「自由民権の里」案内図

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