県央・県北地区№6-07  高座豚は今も健在(綾瀬市) 

2008年8月作成

 

1.「鎌倉ハム」の原料

 1859(安政6)年に横浜が開港すると外国人が居留地に定住し、やがて彼らによって洋食文化も日本に次第に浸透していく。鎌倉ハムもその一つで、1874(明治7)年にイギリス人のウィリアム・カーチスが神奈川県鎌倉郡柏尾村(現在の横浜市戸塚区柏尾町)で製造を開始したのが、日本のハム作り第一号とされている。良質で味も良く、やがて日本中に広まっていくと「鎌倉(郡)で作られたハム」ということで、「鎌倉ハム」というブランドが自然に確立していった。

 現在も鎌倉市岩瀬には「鎌倉ハム・富岡商会」、横浜市瀬谷区に「鎌倉ハム・村井商会」などの老舗企業が一世紀以上も操業を継続している。このハムの原料に使われたのが「高座豚」で今も綾瀬市や藤沢市などで養豚業が行われている。


2、高座豚の由来

 高座豚は神奈川県の旧高座郡(綾瀬市・海老名市・相模原市・座間市・大和市・茅ヶ崎市・藤沢市・寒川町)を中心に飼育されていた中ヨークシャーという品種の豚である。高座豚の名前が一躍全国的になったのは、1935(昭和10)年に東京で開催された全国肉畜博覧会で高座郡から2頭出品したところ、2頭ともに最優秀賞に輝いた。第二次世界大戦後も品質や味の良さは変わらずに全国共進会で優れた成績を挙げ続け、この時期(昭和20年代後半~30年代前半)が高座豚の黄金時代であった。

 しかし高度経済成長期に入ると、綾瀬市も都市化・宅地化が進行して人口が急増していく。臭気などで新住民の苦情が増加したり、若者の農業離れなどによって綾瀬市の養豚農家は2008年現在で8戸と、かつての3割に減少した。


写真1 綾瀬市吉岡の養豚場(平沼克己さんが経営)



3、「新高座豚」の登場

 衰退しつつある養豚業の再生に向けて立ち上ったのが綾瀬市吉岡(養豚農家の多い地域)に住む志沢勝(しざわまさる)氏である。同業の仲間らと新品種のである「新高座豚」を開発して、高品質を武器に自らハムを直売する「高座豚手作りハム」の店を1985(昭和60)年にオープンさせた。この事業は見事に成功を収め、支店を藤沢市・相模原市にも増やして多くの消費者から支持されている。そして神奈川県から「かながわの名産100選」に高座豚と高座豚手作ハムの両方が選ばれて、広く知られることになった。

 かつては全国ブランドだった高座豚は、綾瀬市を拠点にして現在も飼育されて県民の食卓に彩りを添えている。


                           【県立二宮高校  比佐隆三】


写真2 綾瀬市吉岡の「高座豚手作りハム」本店(志沢勝社長が経営)


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