川崎地区No2-10  川崎市の地域的中心 武蔵小杉(中原区)  

2009年1月作成

 

1.小杉の町並み

 小杉はもともと中原街道沿いに発達し、小杉御殿(近世)・小杉十字路(近代)が中心であった。1930年代に工場が進出し始めると、町の中心が武蔵小杉駅付近へと移動した。駅周辺は南武線と東急東横線が交差し、川崎市の地域的中心で、川崎市も都市計画において、川崎・新百合ヶ丘に次ぐ第3都心と呼んでいる。


写真1 綱島街道沿いのかつての工場群

2.かつての「工業都市駅」・「グランド前駅」の変貌 

 戦時中に南武線沿線には多くの軍需工場が進出し、会社の要請で1953年まで東急東横線武蔵小杉のとなり(現東急小杉駅から横浜よりに200m)には「工業都市駅」が開設された。戦後の復興期に、戦時中の大工場の大部分が定着し、南武線から離れた地域に中規模工場が進出しはじめた。不二製作所(移転)やNEC(向河原)・東京機械製作所(移転予定)など駅南東側を中心に工場が点在していた。グランド前という呼称も今となっては懐かしい。小杉駅前に東京銀行(現東京三菱銀行)の厚生施設である丸子クラブ(新丸子東三丁目・平成16年2月設備売却)があった。東京方面から多摩川を越えたこの地は行員の絶好のレクレーションの場であったのだろう。その武蔵小杉駅を取り巻く環境がにわかに変化してきたのは2004年の都市計画決定後の頃である。


写真2 「グランド跡」とマンション

3.駅前に突如現れた巨大ビル群 

 グランド地区をはじめ、武蔵小杉駅周辺地区においては最終的に9棟の高層ビルが建設される。そのうち2棟については使用を開始しており、2008年度中に2棟が完成予定である。その高層ビルに隣接しているのが、現在、小杉地区に唯一残った工場である。印刷輪転機メーカーである東京機械製作所の玉川製造所が稼動している。しかし駅周辺の再開発の進捗も踏まえ、玉川製造所を千葉に移転し、跡地を再開発することとなった。(2007年3月発表)取り壊しについては2009年度に始まる見込みである。戦時に拡大した工業用地は戦後も引き継がれた。全国3位(1990年)の工業製品出荷額を誇っていた川崎市であるが、さらなる工業拡大のため市外への工場移転が多くなり、いよいよ駅周辺から大規模な工場が姿を消す。駅近くの第一工場跡地には大型複合商業施設、南側の第二工場跡地には高層マンションを開発することが公表されている。2014年度までに計約2千戸の集合住宅の建設を予定している。

4.武蔵小杉横須賀線新駅の設置

 武蔵小杉駅は東急東横線(中目黒より乗り入れ日比谷線)とJR南武線の3線の結節点であったが、2000年度に東急目黒線(目黒より東京メトロ南北線・都営三田線・埼玉高速鉄道)が乗り入れを開始した。これによりみなとみらい線を含む7線に拡大された。2005年には川崎市とJR東日本が合意し2009年度(2010年3月13日予定)に横須賀線に新駅を設置することを発表した。横須賀線新駅と現在のJR小杉駅はバリアフリーの通路で結ばれる予定である。JR東日本では新駅に横須賀線の他、湘南新宿ライン、特急「成田エクスプレス」が停車すると発表した。地元の協議会においては、これに気をよくし、新幹線の新駅設置も期待しているという話しもある。また川崎市は川崎縦貫高速鉄道の元住吉接続から武蔵小杉接続へとルートを変更した。(武蔵小杉ルートは事業許可再取得中)順調に工事が完了し開業(2021年)すれば川崎駅をしのぐ交通の結節点が誕生する見込みである。駅全体の1日乗降客数(06年度)は約30万人。再開発事業が進む同駅周辺地区では、今後も乗降客が増加すると見込んでいる。


写真3 2010年3月に新たに開業した横須賀線・湘南新宿ライン駅に併せ新設された武蔵小杉駅南改札


5.武蔵小杉の変化

 駅周辺の再開発が2014年度に完成予定であり、計画人口は15,000人を予定している。50年前から武蔵小杉は交通の要地であったが、新駅開設により湘南新宿ライン停車で東京へのアクセスは飛躍的に良くなるであろう。将来的には東横線が渋谷より副都心線にも乗入れるため、計10路線へ直通できるという首都圏でも有数の利便性を誇る駅へと生まれ変わる予定である。また子どもの数も急増しており、保育所・小・中学校のクラス数が増加するのではと懸念されている。


写真4 武蔵小杉駅前に唯一残った東京機械

【旭高校 橋本 達也】

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