横浜地区No1-2 市営地下鉄北新横浜駅周辺(港北区)

2008年2月作成

 

1.北新横浜駅周辺 

 この2004〜05年の間に、北新横浜駅周辺の様子はそれ以前と比べ一変した。北新横浜は、1993年3月、市営地下鉄のあざみ野延伸の際に誕生した新駅(開業当初の駅名は新横浜北駅)である。1993年に、新駅が誕生した当時は、駅前であっても中小の工場と、畑、その合間の住宅地だけで、商業施設はコンビニエンスストアの1軒もなかった。

 2004年11月、静岡県を中心に展開するホームセンターの「エスポット」(マキヤグループ)が、鶴見川遊水池事業完成により誕生した広大な用地に出店し、以後、駅前も大きく変化した。駅東側の市営地下鉄新羽車輌基地との間にあった畑には、次々とマンションが建設されている。

 駅の西側に目を転ずると、この数年見られる風景に大きな変化は見られない。準工業地域に指定された土地は、かつての農家が建てたプレハブの工場に入居する中小企業が健在である。これらの貸工場は1970年代に建設され、主に東京や川崎から移転してきた企業に貸しだされた。

 駅前の特等地に工場がある理由は、貸し手の意志による所が大きい。「新羽史」(新羽史編集委員会編 2004年発行)によれば、貸工場の経営者の声を次のように伝えている。「駅から5分以内の地域だが、マンションへの建て替えは考えていない。というのは、貸し工場は建設費が安いので早く資金が回収できるし、貸す相手が少ないため、管理面が楽だから。」

 貸工場に関してはとりあえず大きな変化はないが、その一方で準工業地域内の畑は減少している。また、残った畑地も農家が畑作を放棄しており、遊休地化している土地がこの数年目立ってきた。


2.専念寺から新羽高校周辺

 北新横浜駅から西に向かい、新羽新道を渡ると風景は一変する。この地域は農業専業地域に指定されているため、依然として畑地が多く見られる。夏には梨やブドウなどの果樹、秋から冬にかけては小松菜をはじめとする葉菜類、また1年を通してハウスで花卉が栽培されている。高度経済成長期以前は、水田が広がる穀倉地帯であったが、現在は園芸農業に転換し、大都市への供給地としての役割を担っている。

 訪ねた時期は秋まきの野菜の準備期間にあたり、平坦にならされた畑が、播種を待っていた。港北区は葉菜類の生産が市内1位で、特に小松菜の生産は関東でも有数の出荷量を誇る。また、「ハマ梨」のブランドで知られる和梨も丁度収穫時期で、農家の軒先には即売の旗が立てられていた。梨は、野菜と違い市場に出荷されるより、農家が直接消費者に販売するケースが多いようである。

 北新横浜駅から新羽高校にかけての道は、横浜でも数少ない里山の風景が残されており、絶好の散歩道としてお勧めしたい。

                               【釜利谷高校 井上 達也】



写真1 2001年当時の北新横浜駅前  現在のエスポットがある付近の写真。当時は鶴見川遊水池の工事中で、駅前には本当に何もなかった。




写真2 同じく2001年当時の北新横浜新羽車輌基地方面の様子




写真3 駅前の商業施設エスポット スーパー、ガーデニングセンターなどの商業施設が入る。周辺には、ファミリー向けのレストランや病院なども建っている。





写真4 北新横浜駅西側の中小工場  高度経済成長期に、東京や川崎から移転してきた企業が多い。また、港北区には、NECやアルプス電気などの大手電機に関連する中小工場が建ち並ぶ。



写真5 新羽高校周辺の農地

 秋まきの野菜を育てるために、耕された畑。おもにコマツナやほうれん草が作られる。


(写真3〜5はいずれも2005年7月撮影)


写真6 コマツナなどの栽培の様子(2001年2月撮影)



写真7 専念寺バス停付近の梨畑(2005年7月撮影) 「ハマナシ」の名称で親しまれている。春先には美しい花を付け楽しませてくれる。収穫は8月中下旬頃。


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