湘南地区No.4-11 今も残る軽便鉄道の跡(二宮町)

2010年4月作成

 

1 二宮と秦野を結んだ軽便鉄道とは


写真1 軽便鉄道の蒸気機関車(中里停留所跡のプレートより)


 神奈川県の中西部に位置する二宮町と秦野市はほぼ南北にあり、葛川の切り開いた谷に県道秦野二宮線が通っている。この道の旧道は主要なバス路線となっているが、かつては秦野のたばこを輸送するために鉄道が敷かれ蒸気機関車が走っていた。

 秦野の葉たばこ栽培は江戸時代に開始されたが、明治時代に秦野葉たばこ専売所(後の日本専売公社秦野支局)が設置されるとさらに盛んになった。大きな河川がなく舟運が利用できない秦野では、たばこを当時の貨物輸送の中心であった東海道線の駅へいかに運ぶかが大きな問題となった。(当時、小田急線はまだ開通していなかった)

 当初、秦野からの貨物は馬車や荷車で平塚に送られていたが、秦野から二宮までは約10kmしか離れていないことから、1906(明治39)年に秦野往還(現在の県道秦野二宮線の旧道にあたる)に沿って湘南馬車鉄道が開業し、現在の秦野市本町3丁目付近と二宮駅の北側を結んだ。こうして秦野の貨物は二宮(当時は吾妻村)へと輸送されるようになったが、東海道線への貨物の中継には不便だったので、早くも翌年には官鉄(現在のJR)二宮駅構内まで延長されている。貨物の中心はたばこ関係であったが、雑穀・肥料・木綿・丹沢の木材なども運ばれていた。やがて馬車鉄道ではさばききれなくなるほどの輸送量となり、動力を馬から蒸気機関車へと転換して、1913(大正2)年には湘南軽便鉄道となった。

 軽便鉄道とは、鉄道と言うよりもトロッコの発展したものと言ったほうがわかりやすく、レールの幅も狭い(東海道線などの2/3強)ので車両の重心も高い。このため安定性も悪く牽引能力も低かったので、上り坂では乗客も降りて車両を押すこともあった。また、軌道も道の片隅にレールを敷いたようなもので、整備もそれほど厳密には行われないため、脱線などの事故もよくあった。最初こそ順調だったものの、すぐに経営難に陥り廃線の危機に瀕したが、たばこ輸送の重要性から別会社に譲渡された。1918年に湘南軌道として再出発してからは積極経営に乗り出し、秦野側を秦野葉たばこ専売所(現在のジャスコ秦野店)の構内まで延長し、専売所から本町までたばこを荷車で運ぶ手間をなくしたところ経営は安定した。これにともない専売所前に設けられた駅が二代目秦野駅となり、初代秦野駅は台町駅と改称された。

 しかし、1920年の秦野自動車の設立、1923年の関東大震災の被害、1927(昭和2)年の小田原急行(=小田急)線開通の影響で経営状態は悪化の一途をたどり、旅客部門の廃止などの合理化を行ったが効果がなく、1935年には営業休止に追い込まれてしまった。


2 今なお残る湘南軌道の本社社屋

 軽便鉄道の痕跡は、20~30年前までは橋脚などを中心に残っていたが河川改修と共に撤去されてしまい、今日ではほとんどなくなってしまった。ところが湘南軌道本社の社屋は二宮駅北口にほぼそのまま残っており、少なくとも築80年以上たっている。

 この他、馬車鉄道の開通から100周年を記念して、2006年には沿線であった二宮町・中井町・秦野市が協力して、かつての駅や停留所の跡に軽便鉄道を記念するプレートを設置した。

【鶴嶺高校 能勢博之】


写真2 湘南軌道本社の本社・二宮駅(軽便鉄道二宮駅跡のプレートより)



写真3 今なお残る本社・二宮駅だった建物



戻る

Homeへ