横浜地区No1-5  関内の近代洋風建築2 (中区)


2008年2月作成

 

外観を残した洋風建築

 歴史的建造物を多く残す関内地区であるが、今あちこちでこれらの建物の解体や建て替え工事が進んでいる。解体された後に、マンションやホテル、オフィスビルが新たに建てられている。

 古い建造物が次々に解体されるのは、次のような理由がある。第一に、開発の歴史が古い関内地区は、新横浜のような副都心と比べ、築年数を経たビルが多く、オフィスのオートメーション化には向かない建造物が多いことである。第二に、この地区は敗戦後すぐにGHQによって接収され、1950年代に接収が解除された後に区画整備が行なわれた。高度経済成長期以前のこの時期は、まだ日本のモータリゼーション前であったため、結果的に駐車場スペースの確保はまだあまり意識されなかった。今日、建物解体後にコインパーキングなどが林立するものの、副都心と比較すると見劣りする面がある。第三に、関内地区には金融機関の支店が多かったが、90年代以降の金融再編や店舗の見直しから支店数が急減した。関内地区の金融機関の支店には、横浜を代表する歴史的建造物も多かったが、再編により解体された建造物も多い。

 洋風建築の解体が進む中、歴史的建造物の保存方法に新たな動きも見られる。老朽化した日本火災ビル(旧川崎銀行横浜支店 1922年建築 横浜市中区弁天通5-70)は、1989年に建物のファザード二面を残してリニューアルし、建物の外観を残したまま建て替えるという、歴史的建造物の新たな保存・再生の手法が示された。この建物は、完成と同時に、横浜市より市認定歴史的建造物の認定を受け、建て替えの手法も評価されることとなった。以後、横浜では市によってお墨付きが与えられた観もあり、外観だけを残した建築物が続々と建てられている。

 図1〜4の写真は、リニューアルされた代表的建築物であるが、これ以外にも、国の横浜第2合同庁舎(旧生糸検査所 1926年建築 1990年再建 横浜市中区北仲通5-57)、総通横浜ビル(旧本町ビル 1930年完成 1995年再建 横浜市中区本町1-3)などの建造物があげられる。最近では旧三菱銀行横浜支店もイオニア式の円柱を残したままマンションとして生まれ変わった。外観のみを残すと言う手法に賛否両論はある。横浜のような大都市で経済効率との両立を図る方法は、今後も模索が続くことと思われる。単なるレトロブームに終わることのないことを祈るばかりである。

 

主な参考文献

横浜市教育委員会文化財課「都市の記憶」(2000年)横浜市歴史的資産調査会発行

横浜シティガイド教会「ハマの建築探検」(2002年)神奈川新聞社

朝日新聞横浜支局編「残照 神奈川の近代建築」(1982年)有隣堂

神奈川県高等学校社会科部会歴史分科会「横浜散歩」(1999年)山川出版社

横浜都市発展記念館「横浜・長崎 教会建築史紀行」(2004年)

【釜利谷高校 井上達也】


写真1 横浜情報文化センター(2008年6月撮影)

 1929年完成した旧横浜商工奨励館を2000年に現在の形に再建した。(横浜市中区日本大通11)



写真2 横浜都市発展記念館&ユーラシア文化館

 横浜情報文化センターに隣接する建造物。横浜市外電話局として1929年完成し、2002年再建された  

(横浜市中区日本大通12)




写真3 横浜地方裁判所(2004年7月撮影) 

 BC級戦犯の裁判所としても有名な建造物は1930年完成。 2001年再建 されたが、建物は外観のデザインを残しただけで、完全な新築。歴史の証人である旧大法廷は、桐蔭横浜大学に移設された。

(横浜市中区日本大通9)

  


写真4 横浜アイランドタワー(2005年3月撮影)

 旧横浜銀行本店の別館の玄関部分(1929年完成)。保存のため、建造物ごと現在地に移動させ再建された。

(横浜市中区本町6-50-1)