横浜地区1-7 金沢八景の今(金沢区)

2008年10月作成

 

1.金沢八景周辺の埋立て

 図1は、1951(昭和26)年の横浜市金沢区、平潟湾周辺の地図である。湾の西側の海面(現在の金沢区柳町付近)は埋め立てられておらず、瀬戸神社付近がまさに「瀬戸」であったことが読み取れる。富岡沖や、八景島付近も遠浅の海岸が続いており、昭和40年代前半まで、京急富岡駅から金沢文庫駅に至る海岸線は、潮干狩りや海水浴の適地であった。私自身も、初夏から真夏の時期に何度か訪れ潮干狩りや海水浴を楽しんだ記憶がある。

 金沢の海は、江戸時代には塩田や新田開発のため埋立てが始まり、泥亀新田や入江新田などの新田が開発された。また、戦前は海軍の軍都横須賀に隣接することから、軍需工場や関連施設の用地として、横須賀市の追浜や夏島、金沢区の野島周辺の海も埋立てが進んだ。現在の日産自動車追浜工場や住友重機械工業横須賀造船所は、海軍工廠やその関連施設などの軍需産業跡地に立地している。

 高度経済成長期以後は、戦前をはるかに上回るペースで、横浜市内の海岸線の埋め立てが進んだ。中区の本牧沖や、磯子区の根岸湾、金沢区並木、富岡などの地域が、重化学コンビナートや工業団地、住宅の用地となり、あたりの風景は一変した。

 この夏(2008年)、大きく変化した金沢八景周辺を訪ね、「八景」をキーワードにかつての海岸線や田園風景を確かめた。

図1 1952年当時の地図(金沢区役所発行) 平潟湾がそれほど埋め立てられていない様子が分かる。


.金沢八景の由来

 金沢八景は、中国の洞庭湖にそそぐ二つの河川、瀟江(しょうこう)と湘江流域の美しい風景「瀟湘(しょうしょう)八景」がそもそものモデルと言われる。明の渡来僧心越禅師が、元禄の頃(17世紀)に、能見堂からの美しい風景を、故郷の「瀟湘八景」になぞらえて「能見堂八景」を漢詩に詠んだのがその始まりである。江戸時代、金沢八景は鎌倉・江ノ島とパックされた行楽地となり、庶民には非常に人気があった。また、江戸末期、歌川広重の浮世絵「金沢八景」にもえがかれた。

 金沢八景とは洲崎晴嵐(すさきのせいらん)、瀬戸秋月(せとのしゅうげつ)、小泉夜雨(こずみのやう)、 乙艫帰帆、(おっとものきはん)、称名晩鐘(しょうみょうのばんしょう)、平潟落雁(ひらかたのらくがん)、野島夕照(のじまのせきしょう)、内川暮雪(うちかわのぼせつ)の八景であるが、はたして現在八景の面影は、金沢区内に残っているであろうか。


3.金沢八景の今

 心越禅師が漢詩を詠んだ能見堂跡は、金沢文庫駅から20分ほど歩いた、六国峠ハイキングコース横の広場(写真1・2)にある。ハイキングコースは、古くは鎌倉時代に称名寺と鎌倉を結ぶ道で、途中には切り通しも見られる。尾根筋に緑はあるものの、その周辺は京急などが開発した能見台の住宅地に囲まれている。背後はマンション、前は住宅地で、見晴らしはさほど良くはなく、残念ながら往事の姿を偲ぶことは出来ない。

 称名晩鐘で知られる称名寺(写真3)は、この地を本拠地とした金沢北条氏の菩提寺として、1246年頃北条実時が創建した。また、実時は屋敷内に有名な金沢文庫を置き、鎌倉幕府の書類・書物を保管管理した。

 鎌倉幕府滅亡後には、称名寺の境内は荒廃が進んだが、1987(昭和62)年に10年の歳月をかけて発掘調査と復元工事が行われた。現在ある庭園は、鎌倉時代のものを復元している。称名寺の境内は、三方を山に囲まれており、まわりの住宅地が視界に入りにくいため、昔の八景の雰囲気を今に伝えている。なお、広重が描いた金沢八景の中の称名晩鐘は、寺の鐘が響く泥亀付近(現在の金沢区役所あたり)の風景を描いたものである。

 洲崎晴嵐、乙艫の帰帆、野島夕照、瀬戸秋月、平潟落雁は、平潟湾周辺の海辺の風景を想像させるが、はじめにも書いたように、海岸線のほとんどは埋め立てられてしまった。ただし、野島公園(写真4・5)内には横浜市内唯一の自然海岸が残っている。そして、市民や学生を中心に、海の生物のゆりかごとなるアマモ再生プロジェクトが行われている。

 野島公園の展望台から晴れた日には、三浦半島や房総半島、東京の都心部や関東の山々も見通すことが出来、かつての風光明媚な土地の様子を今に伝えている。

 なお、小泉夜雨(写真6)と内川暮雪の二景は、美しい田園の風景であるが、宅地化によって田畑のほとんどが消失した。金沢区は、大都市横浜にあって、比較的自然も残り、海や山に親しむことの出来る場所も多い区である。しかし、この40年ほどの間に、江戸時代に人々を魅了した金沢八景が大きく変わってしまい、昔の面影に思いをはせることはむずかしい。


参考文献 「横濱 2007年夏号」(神奈川新聞社)

     楠山永雄「ぶらり金沢散歩道」(2003年 金沢郷土史愛好会)

【釜利谷高校 井上達也】


写真1 能見堂跡

 


写真2 能見台のマンション群 中央がハイキングコース、すぐ横にマンションが建ち並ぶ。



写真3 称名寺の庭園 谷戸に囲まれ閑静なたたずまいである。



写真4 八景島から 現代版の乙艫帰帆か。平潟湾には釣り船などの遊漁船が多く、また小柴には漁港もある。東京湾のキス、イカ、カレイ、アナゴ、シャコなどを狙い出漁する。



写真5 今年(2008年)で開業15周年を迎えた八景島シーパラダイス 



写真6 「小泉夜雨」付近 宮川沿いの遊歩道。金沢文庫周辺は川沿いに遊歩道が整備され、市民の散歩道となっている。


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