湘南地区No4-9 砂浜が減り続ける湘南海岸 


2009年9月作成・2011年8月改訂

 

1 侵食が進み砂浜が減少する湘南海岸

 湘南海岸では、1960年代から海岸侵食が激しくなり、場所によっては1950年代半ばと比べて100mも海岸線が後退している。かつて行われていた砂利採取の後遺症や、ダム建設などにより下流への土砂供給がストップしたことから、河川からの土砂の供給が大幅に減少したことが最大の理由であるとされている。

 相模川水系では、昭和30年代に入ると建設・土木用に川砂利が大量に採取され、場所によっては橋脚が浮いてしまう事態をまねき、1964年(昭和39)年に相模川の砂利採取が全面的に禁止された。しかし、えぐられた部分の河床はその後も周囲の河床を低下させ続け、ようやく最近になり安定するようになった。また、1965年に城山ダムが、2001(平成13)年に宮ヶ瀬ダムが完成し、下流への土砂の供給が大幅に減少した。国土交通省の試算によると、相模川下流にある寒川取水堰を通過する土砂量は、1950年頃代に比べ約7分の1になっていると推測されており、いかに土砂供給量が減少しているかがわかる。

 また酒匂川水系でも同様に、高度経済成長期に入り砂利が大量に採取され、酒匂川本川での砂利採取が1968年に禁止された。また、1978年には三保ダムが完成している。

 

2 「湘南なぎさプラン」で対策が本格化

 1985年に県が中心となって「湘南なぎさプラン」を策定し、湘南海岸地域の自然環境の保全・育成についての取り組みが始まり、海岸侵食への対策も具体化した。茅ヶ崎中海岸T字型のヘッドランド(人工岬)が建設され、波を弱めて砂が堆積しやすくしている。さらにそこへ砂を投入しているが、その砂にはダムの底にたまった土砂や河川のしゅんせつで出た土砂も活用されている。ヘッドランドは一定の効果をあげているが、2007年の台風9号の際には砂が大規模に流出するなど、まだ課題も多い。また砂浜の侵食が極めて著しい相模川の茅ヶ崎側河口には、1990年から沖合100mの地点に長さ700mにわたる消波堤が建設され、消波堤の内側に砂が戻りつつある。

このほか「湘南なぎさプラン」には、漁港の整備や観光促進などを含めた総合的な目的があり、スポーツやレクリエーションのための施設がビーチに設けられ、利用客の増加が図られている。


写真1 茅ヶ崎海岸に作られたヘッドランド (2009年撮影)



3 大きな衝撃を与えた西湘バイパスの崩落事故

 大磯町国府新宿から二宮漁港にかけての海岸は、相模川以西の湘南海岸の中で最も海岸侵食が激しい地域であり、1947年に比べ50m以上も海岸線が後退している場所もある。 2007年9月の台風9号による高波は湘南海岸各地の砂浜を削り取ったが、中でも西湘バイパスの大磯西IC〜橘ICの下り線が3箇所にわたって擁壁崩落や路面陥没をしたことは、大きな衝撃を与えた。この付近の西湘バイパスが建設された1960年代末には、海岸線から西湘バイパスまで少なくとも20m以上砂浜があったが徐々に侵食され、2007年の台風9号で西湘バイパスと海岸線がほぼ一致してしまった。しかも台風の後、ほとんどの所では砂浜が回復傾向にあるのに対し、この付近はその後も砂が戻らないという特徴がある。

 現在も崩落後の対策工事は続いており、二宮インター付近では海岸への立ち入りが制限されている。


写真2 西湘バイパスに波が迫る二宮インター付近(崩落部分のすぐ西側)(2009年撮影)



写真3 続けられている対策工事の様子(2010年末撮影)



4 平塚の海岸にある謎の塔は

 平塚海岸の沖合約1km、水深約20mの位置に、高さ約20mの塔が立っている。この塔は、1969年の伊勢湾台風をきっかけに、津波や高潮などの沿岸災害を研究するため、国立防災科学技術センターが1965年に建設したもので「平塚実験場 波浪等観測塔」という。ここでは、通常は平塚市虹ヶ浜に設けられた陸上施設からの遠隔操作によって潮位や波浪についての常時観測を行っていたが、時には塔に観測員が泊まり込んで観測することもあったという。

 しかし、国立防災科学技術センターが独立行政法人防災科学技術研究所となり、経費削減の一環として2008年3月末で閉鎖されてしまった。ただし、観測したデータの公開は神奈川県が1年間継続することになっていたが、1年間を過ぎた現在でも続けられている。

【鶴嶺高等学校 能勢博之】

写真4  平塚実験場波浪等観測塔(2008年撮影)


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