川崎地区No2-5   川崎駅東口の移り変わり  (川崎区)

2008年8月作成

 

1.川崎駅東口の変貌

 1980年代に、川崎駅東口の風景は大きく変化した。1980年、その先陣を切って岡田屋デパートが、岡田屋モアーズとして新装開店した。以降、1986年には地下街アゼリアが開店し、駅前のバスターミナル等も合わせて整備されて、現在見られる川崎駅東口広場のレイアウトが完成した。1987年には、映画街(旧名ミスタウン)が改築されて新たにチネチッタとしてオープン、また、1988年には大日日本電線跡地に菱星ショッピングセンター(現ルフロン)が、西武・丸井の両デパートをキーテナントとして開店した。同じく88年、川崎駅ビル(1958年に開業)も改築・増築されて、BEの名称で営業を再開した。アゼリア地下をはじめとする大きな駐車スペース、豊富な品揃え等のメリットから、商圏は川崎市内にとどまらず、東京西部や横浜東部の地域にまで広がった。世はまさにバブル景気の最盛期、新たな商業施設がオープンするたびに、良きにつけ悪しきにつけ川崎駅前がもっていた雑多な風景が払拭されていった。

 商業施設の再開発と同時に、東京に近い利便性からオフィスビルも続々と建設された。主なものとしては、東口の日本IBMビル、西口では東芝やリクルートのビルなどがあげられる。

 バブル崩壊後の1990年代半ばから〜2000年代も、川崎駅東口は変化を続けている。駅前にあった雑居ビルやパチンコ店などが次々と取り壊され、跡地にはオフィスビルやテナントビルが建設された。代表的な建物としては、JR川崎駅の旧北口駅前の、松葉会館・日通の跡地に作られたタワーリバーク(1994年12月完成)。川崎を代表する老舗デパートであった小美屋デパート(最後はダックシティ)と、その周辺の商店などの跡地に建てられた、総合的商業テナントビルダイス(2003年9月オープン)などがあげられる。



写真1 地下街アゼリア建設中の様子(1982年10月撮影) 以前の日航ホテルビル付近からの撮影。中央の工事中の場所が現在の地下街アゼリアと東口バスターミナル。岡田屋モアーズは既に完成しているが、左手前の駅ビルはまだ以前の建物のまま。また正面左手に見えるのが小美屋デパート(現在ダイスがある)。


    


写真2 写真1とほぼ同位置で写した現在の川崎駅(2008年8月) 駅前広場、ダイスなどの様子の違いが見て取れる。

    


写真3 大日日本電線跡地の空き地(1982年10月撮影) 正面に見えるのが古い日航ホテルビル。左手の新しい建物が日本IBMビル。この跡地に、ルフロンや太田総合病院などが後に建設された。

    



写真4 川崎駅東口の様子(1996年撮影) 正面に見えるのがルフロン。ビルの左側が西武百貨店、右側が丸井。西武は現在撤退し、かわってヨドバシカメラが進出。さいか屋デパートの様子は現在と変わらない。

     


写真5 チネチッタ(1996年撮影) 現在はさらに改修され、チッタデラとしてより斬新な姿を見せている。

     



写真6 現在のチネチッタ(2008年8月撮影) ガラス張りのデザインから石造り風に変わった。

    



2.川崎駅東口駅前広場再編整備計画

 川崎市は、「川崎駅東口駅前広場再編整備計画」を策定し、2009年度中の着工、2010年度中の完成に向けてバリアフリー化を中心とする東口駅前の再編が動き出した。現在の川崎駅東口は、バスターミナルに行く時、必ず地下街アゼリアを通らなければならない造りとなっている。エスカレーターやエレベーターの整備は遅れており、高齢者や障害者のみならず、一般のバス乗降客にとっても、階段の昇降を余儀なくされ、非常に不便な状況である。また、バス乗り場も分かりづらく、地元の人間でも道を尋ねられても分からない有様である。

 川崎駅東口についての不満や疑問は1986年にアゼリアが整備されたときから様々あった。「地下街を通らなくてはいけないのは、商店のため?」「車優先で人間軽視ではないか。」「BEの地下とアゼリアがつながっていないのはなぜ。」また、JR川崎駅についても、「以前は北口があったのに、出入口が一箇所しかないのはなぜか」という不満が常々言われ続けてきた。

 2007年3月の「川崎駅東口駅前広場再編整備計画」によれば、これらの不満を解消するために駅とバスターミナルを横断歩道で結び、地下街を通らずに乗車できるよう計画されている。ある意味、1986年以前の川崎駅東口の駅前広場に戻すと思って良いだろう。しかし、これで回遊性が改善され、東口の魅力は増すであろうか。

 今回整備計画が急ぎ策定され、実施に移される背景には、西口のラゾーナの影響がある。ラゾーナは駅に直結し、当然バリアフリー化もすすみ、駅からの回遊性も高く、2006年の開業以来抜群の集客力を誇っている。古くから川崎区に住む人も、最近では東口を通り越してラゾーナでの買い物を楽しんでいる。一方、東口は2003年8月に西武百貨店が閉店し、また、駅前の商業ビルも、テナントが居酒屋やカラオケ、パチンコ店といった遊技施設への転換が目立っている。チネチッタがシネマコンプレックスとして集客数日本一を誇るなど、東口の健闘も目立つ。だが、川崎駅東口は、利用者の声に耳を傾けていないうちに、気付いたときには突如出現したライバル西口に大きく水を空けられたのではないだろうか。



写真7 現在のルフロン(2008年8月撮影) 西武百貨店が撤退しヨドバシカメラが出店している。

   

    

3.今後の動き

 現在、京急大師線の地下化工事が、小島新田駅と東門前駅間で進められている。将来の計画では全線が地下化され、また路線も現在の多摩川沿いのルートから、宮前付近までは国道132号線下を通る路線に変更される予定である。川崎駅からは川崎市の南北を縦断する「川崎縦断鉄道」(川崎市営地下鉄)に接続する予定であるが、川崎縦貫鉄道に関しては、路線変更の問題や建設資金に対する市民の疑問もあり、計画を実現するには厳しい状況である。今後の新たな動きに注目したい。

【釜利谷高校 井上 達也】


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