県央・県北地区No6-14 北部の中心地 橋本の変貌(相模原市)

 

1.橋本の変遷

 橋本地区は、戦後間もないころから高度経済成長期にかけての時期を中心に工場が誘致され、NEC、三菱電機、大和製罐、日本金属工業、セントラル自動車などの大企業が進出し、工業団地が形成され発展してきた。橋本駅は、横浜線と相模線の分岐点として、市北部地域や津久井方面へのバス路線発着地として交通の要所として栄えてきた。

 1980年代に入ると、産業構造の変化と合理化の影響などで橋本地区の工場が撤退、縮小するようになり、工場跡地は宅地化して東京のベッドタウン化が進んだ。しかし、都区内への交通アクセスは悪く、橋本駅を利用する人たちは、八王子か町田に出てから都心へ向かわなければならなかった。

 1990年に京王相模原線が橋本駅まで開通すると、橋本地域が大きく変わっていくことになった。

それまで八王子や町田を経由して都心へ向かっていた相模原駅や相原駅利用者や相模線沿線の住民が橋本駅を利用するようになり、橋本駅の利用者が大幅に増加した。1991年には、相模線が電化し、駅周辺の再開発が一気にすすむかと思われた。しかし、平成に入ってからの不況の影響もあり、再開発事業はなかなか進まず、ようやく1990年代後半から西橋本地区や駅北口側の再開発が徐々に進められるようになった。2000年代に入ると再開発事業が一気に進み、現在は高層ビルがいくつも並ぶようになった。


2.国鉄車輌センター跡地周辺 西橋本地区の再開発

 1984年に主にバスを製造していた国鉄車輌センターが閉鎖された後、広大な敷地は1986年に開店した忠実屋橋本店(1994年~ダイエー、2003年~東急ストア)を除くと、景気悪化の影響もあり、ほとんど利用が進まず大部分の土地は10年以上空き地となっていた。

1996年に橋本郵便局が開局すると、跡地利用が進みだした。2000年代に入り、さがみはら産業創造センター、県住宅供給公社の高層マンションオラリオンサイト、ホームセンターコーナン、相模原北警察署などが次々と建設され、地区の様子は大きく変貌した。2010年4月、政令指定都市移行に伴い、緑区役所がこの地区に設置されると、新たに行政の中心としての機能が加わることになる。



写真1 相模原北警察署付近          



写真2 橋本郵便局周辺



3.橋本駅北口地区再開発 

 1990年に始まった駅北口地区の市街地再開発事業は、1990年代の後半になって一気に進展する。2000年代に入って複合型商業施設「サティ」が完成したのを皮切りに、館内に出張所・図書館・文化ホールなどの公共施設が設けられた商業ビル「ミウィ」、高層マンションを備えた複合型商業施設「B’sイースト」、「B’sウエスト」などが次々に駅と直結して完成、同時にバスターミナルのある交通広場も造られた。さらに、ユニー、イトーヨーカドーの跡地に、新たな商業ビル「SING橋本」、「パークスクエア」が作られるなど駅北口地区は短期間に大きく変貌した。2005年、2007年には高さ100mをこす高層タワーマンション2棟が相次いで建設され、駅周辺は高層ビルがいくつも立ち並ぶ現在の姿となった。


 

写真3 橋本駅北口駅前            



写真4 橋本駅北口サティと高層マンション


4.橋本駅南口地区再開発

 相原高校が駅前の広い敷地に変わらない姿をとどめているのと対照的に、南東部に隣接する大山工業団地は、工場の移転に伴い広大な敷地の再開発が進み大きく変わってきている。駅から徒歩5分ほどの所にある日本金属工業の跡地には、2010年9月オープンをめざし大型ショッピングセンター「アリオ橋本」、高層タワーマンション2棟、美術館の建設が進められている。

 大山工業団地に1960年代に工場と本社を移転させ、長い間相模原市工業の代表格であったトヨタ車を製造しているセントラル自動車が、2010年を目処に宮城県へ移転することが決まっていて、跡地の有効利用が期待される。


  


写真5・6 橋本駅南口側「アリオ橋本」建設現場


【青少年センター 安田直樹】

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