県央・県北地区No6-06  「三代目秦野駅」物語    

2008年9月作成

 

1、まぼろしの「初代秦野駅」

 現在、人口が17万人を超えて県央地区の中心都市として発展する秦野市の表玄関は、小田急線「秦野駅」であり、一日の乗降客数は4.2万人である。実はこの「秦野駅」は三代目の駅であること知る人は少ない。

 初代の「秦野駅」は、今から約100年前の1906(明治39)年8月に、当時の中郡秦野町台町(現在の秦野市本町2丁目)に誕生した。この鉄道は「湘南馬車鉄道」と呼ばれ、秦野―二宮間(約8km)を一頭の馬が牽引する鉄道で、主に秦野の葉たばこ・落花生・米穀などを二宮方面に運搬する目的で設置された。東海道線の二宮駅と秦野を結ぶ貴重な南北方向の道で、後には丹沢山地の登山客にも利用されていた。かつては大八車や馬で、金目川沿いの道を利用して葉タバコなどが秦野から平塚に運ばれていたが、このルートは遠回りで時間がかかるために、葛川沿いの短い二宮ルートに白羽の矢が立てられた。

 残念ながら、由緒ある初代「秦野駅」を示す痕跡は残されていない。


2、「二代目秦野駅」は現NTTドコモショップ

 秦野と二宮を結ぶこの馬車鉄道は、農業生産力の増大と共に急増する荷物の取り扱いが限界に達し、輸送力強化が求められた。そこで、1913(大正2)年2月に、より高速で強力な牽引力を持つ蒸気機関に転換して、「湘南軽便鉄道」へとリニューアルされる。動物の力から、近代的な動力への大きな変革であった。

 記録によると、1916(大正5)年7月に曽屋神社(秦野市曽屋町)の大祭が10数年ぶりに開かれた時、二宮方面から多くの人々が殺到して臨時列車を増発するが乗車できず、2日間で合計50万が訪れたという。こうして順調に滑り出した軽便鉄道は、主力商品の葉たばこを大量に運搬する目的で、秦野専売支局へ直接に鉄路を乗り入れるために路線を延長された。専売支局は現在のジャスコの場所であり、その前の土地に新しい二代目の「秦野駅」が設けられ、初代「秦野駅」は「台町駅」と改称されて単なる通過駅となった。1923(大正12)年7月の事で、この二代目「秦野駅」跡地は、現在はNTTドコモショップとなっている。


写真1 湘南軌道時代の「二代目秦野駅」 大正時代の絵はがきより



写真2 湘南軌道の貨物ホーム 同じく大正時代の絵はがきより



3、小田急線大秦野駅が「三代目秦野駅」

 やがて軽便鉄道は「湘南軌道」となり、経営者も交代して再スタートをきるが、1923年9月に発生した関東大震災で大きな被害を受け、復旧に多額の費用を要し経営を圧迫した。再出発を目指して営業を再開した矢先、1927(昭和2)年4月に小田急線が新宿―小田原間に開通。秦野に駅を設置する時、二代目「秦野駅」が既に存在したために駅名を「大秦野(おおはたの)駅」とした。小田急の登場で湘南軌道は利用客を奪われて、1932(昭和7)年には旅客運輸業務を中止し、貨物輸送のみに事業を縮小する。

 しかしその後も経営状況は好転せず、1937(昭和12)年8月にはついに全面営業停止となり、廃業のやむなきに至った。残念ながら、この鉄道の痕跡は現在はほとんど残っていない。1987(昭和62)年2月、秦野市民に親しまれた「大秦野駅」は「秦野駅」と駅名を変更し、ここに50年ぶりに「秦野駅」の名が再登場して現在に至っている。

【県立二宮高校  比佐隆三】


写真3 小田急秦野駅 「三代目秦野駅」の駅前の様子


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