川崎地区No2-7  川崎エコタウン(2)資源回収業の今昔(川崎区)

2009年5月作成

 
1.在日コリアンと資源回収
 1960年代から70年代にかけて、川崎市臨海部は「公害の町」と呼ばれた。その同じ町が今日エコタウンに指定されていることを不思議に思う人もいると思う。だが、廃棄物のリサイクルに視野を転じれば、川崎臨海部がエコタウンに指定された理由が分かってくる。
 朝鮮戦争(1950〜53年)が生み出した戦争特需は、別名「金偏景気」とも言う。この特需によって、日本の戦後復興が成し遂げられた。資源のない日本にあって金偏景気を陰から支えたのは、「鉄くず屋」あるいは「スクラップ屋」と呼ばれた金属回収業者で、その多くは在日コリアン(太平洋戦争の終戦以前から日本に住んでいた朝鮮半島出身者とその子孫)であった。正確な記録は残されていないが、当時回収業者が集めた金属類は、「おかげで戦後の復興があった」というほどの膨大な量であったとされる。(開高健の小説「日本三文オペラ」は、関西における金属回収業の様子を生き生きと描いている。)
  写真1
  
 川崎市の戦後復興もまた、在日コリアンの存在を抜きに語ることはできない。前川惠司著「韓国・朝鮮人」(1981年発行 創樹社)によれば(写真1)、1980年当時、桜浜地区(川崎区浜町・桜本・池上町)に住む在日韓国・朝鮮人は1,060世帯で、うち2割弱に当たる170世帯が銅や鉄くずを扱う業者であったと述べている。川崎在住の在日朝鮮・韓国人の大半は、戦時中労働者不足に陥った京浜工業地帯の工場に、強制連行されてきた人たちである。敗戦後は、激しい民族差別の中、生活のため金属回収業を生業にした人も多かった。回収された金属類は、日本鋼管などに製鉄原料として集められ、京浜工業地帯の復興、高度経済成長期の発展を支え続けた。

2.資源回収業の今昔
 京浜地区における鉄くずの最大の受け入れ先だった日本鋼管(現JFE)は、1976年に川崎・横浜市にまたがる約550万平方メートルの人工島・扇島をつくり最新の製鉄所を稼働させた。扇島工場は、20万トン以上の大型原料船が直接接岸できる原料岸壁をそなえ、輸入鉄鉱石・石炭を主な原料とし、銑鉄から製鋼・圧延・出荷にいたる効率的なレイアウトを配した銑鋼一環工場であった。1973年の石油危機に加え、輸入原料主体の新工場誕生により、京浜地区の鉄くず需要は減少した。この結果、市内の資源回収業者は相次いで転業・廃業に追いやられた。
 昨年(2008年)開催された北京オリンピックの影響により、ステンレス等の価格が急騰したことは記憶に新しい。だが、08年後半にはアメリカ発の不況の影響で、資源の価格は一転し急落している。資源回収業は好不況の影響をもろに受けやすく、また地方自治体による資源ゴミの回収拡大も、業者の経営を圧迫している。








写真2 東海道貨物支線ガード下(川崎区塩浜) 産業道路と貨物線ガードに挟まれた、塩浜、池上町付近には、今も資源回収業者が軒を連ねる。


 資源回収業は、肉体的に大変きつく、収入も不安定であるため、社会を底辺から支える人たちの職業として成り立ってきた。近年のエコブームの中で、大手資本による資源回収ビジネス化の動きもあるが、果たして今後、産業構造に大きな変化は見られるのであろうか。

3.エコタウンに集積する産業廃棄物
 川崎区内には以前から、金属回収業者の他に、古紙、ガラス、自動車部品など様々な資源回収業者が立地していた。エコタウンの指定後は、大手資本系列のさらに他種類の産業廃棄物関連企業が立地するようになった。
 ペットリバース(川崎区扇町)は、使用済みのペットボトルを原料にペットボトルを再生するベンチャー企業である。ペットボトルは、従来は、破砕され縫いぐるみの詰め物にしたり、繊維の原料として再生利用されてきた。同社は、ペットボトル再生の過程で混入する異物を除去することに成功し、ペットtoペットの循環を可能にした。だが、一時期、大量のペットボトルが中国へ輸出されたなどの理由により、原料購入価格が高騰したため、十分にペットの量を確保できなくなり、2008年には自己破産申請をした。現在は、東洋製罐の100%子会社となり、ペットリファインテクノロジー株式会社として事業を継続している。










写真3 前田道路・京浜リサイクルセンター
 

 



 2002(平成14)年5月の建設リサイクル法完全施行を受け、建築業や土木業の解体・改修工事から発生する廃棄物処理工場もエコタウン内にある。アスファルトやコンクリートから再生骨材や再生砂、再生路盤材を製造するのは、川崎アスコン(水江町)や(株)前田道路・京浜リサイクルセンター(塩浜3丁目)である。川崎アスコンは、鹿島道路、日本道路、世紀東急工業の3者が共同で建設した再生プラントで、日立造船旧ドック跡地を利用し、原料となる廃棄物や、リサイクル材を船から直接荷揚げ、出荷できる。また、旧ドックを直接利用し、破砕設備を半地下式にすることで、騒音・粉塵を抑えている。
 この他に、建設関係の再生業者としては、建設廃材やコンパネ等からチップを製造する(株)木材開発川崎工場(水江町)、建設関係の混合廃棄物(木材、プラスチック、コンクリート、紙、他)の処理が可能な(株)タケエイ川崎リサイクルセンター(浮島町)などがあげられる。










写真4 木材開発(株)川崎工場

 その他の廃棄物処理企業としては、三協興産資源リサイクル工場(ダイオキシン・アスベスト他の処理)、カポック株式会社(廃酸処理)などの工場・プラントが川崎市臨海部には集積する。
 エコタウン構想は川崎市臨海部が、単なる首都圏のゴミの集積場となる危険性もある。川崎市もかつての公害の経験から進出企業に対する指針を示そうとしている。
 廃棄物を資源化するためには、企業はより安全な技術の開発を行い、行政は環境基準の指針策定や情報の公開を進め、市民の理解を深める必要がある。
【釜利谷高校 井上達也】
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