川崎地区No2-4  コロムビアと河港水門(川崎区)

  2008年2月作成

 

1.日本コロムビア工場 

 多摩川沿いの道をくだり、六郷橋を過ぎるとコロムビアデジタルメディア(かつての日本コロムビア)の工場がある。同社の社史によれば、1910(明治43)年に(株)日本蓄音機商会として発足し、レコード製造ばかりでなく、国産初の蓄音機「ニッポノホン」も製造・販売し日本の音楽産業の先駆けとなった。川崎工場は1928年に完成し、レコード全盛の時代には同工場でヒット曲がプレスされ、全国に出荷された。また、1931年には音符印のネオンサインが完成し、多摩川を渡る車窓からの名物となった。私の子供の時分(40年前)には、遠くに出かけた後このネオンサインを見ると、川崎に帰ってきたことを実感したものである。

 (株)日本蓄音機商会は戦後社名を日本コロンビアに変更、1971年にはDENONブランドの製品が発売が始まり、ソフトとハードを併せ持つ総合的音響機器メーカーとしての地位を築き上げた。70年代後半のオーディオブームでは、DENONのDDプレーヤーはオーディオファンの憧れであった。1982年に、世界で初めてコンパクトディスクとCDプレーヤーを発売したのも同社である。

 だが、専属歌手であった美空ひばりが1989年に死去したころから、徐々にヒット曲には恵まれなくなり、さらにバブル崩壊後の不況は高級オーディオの売上不振をまねき、同社の経営に追い打ちをかけた。日本コロムビアは、2001年にはAV機器製造部門をデノンとして分社化し譲渡、そのデノンは翌年日本マランツと経営統合された。2002年には、川崎工場のDVD・CDの製造部門を分社化した後に、2005年に株式、土地・建物をあわせアメリカの投資会社パインリッジパートナーズ株式会社に売却された。現在、日本コロムビアはコロムビアミュージックエンタテイメントと社名変更し、音楽をはじめとするソフトの製造会社となっている。


2.工場跡地に建設予定の大規模マンション 

 2007年、コロムビアデジタルメディアは静岡県大井川町に大井川事業所を設立し、工場を移転した。4万0850平方メートルの広大な跡地には、総戸数1,500戸の30階建ての住宅棟3棟、駐車場棟、保育所、コンビニエンスストアなどを含む大規模マンションの建設が予定されている。2008年2月(この原稿を書いている時期)には、工場の解体工事も計画されており、また一つ川崎を代表する企業が姿を消すことになる。多摩川沿いの工場は、既に新日鐵建材やコマツなどが移転し、跡地にはマンションや川崎大師の祈祷殿などが建設されている。川崎駅西口にも高層マンションが建設されており、近いうちに、多摩川に面した土地は高層マンションに覆い尽くされるであろう。


3.河港水門 

 コロムビア一帯は港町と言う町名である。大正時代に計画された運河計画のなごりである河港があるため、この町名が付けられた。

河港には、多摩川に面し昭和3年に完成した水門がある。多摩川と臨海部の工業地帯を結ぶ大運河計画が策定され、この水門は、多摩川側の入り口となる予定であった。だがこの計画も太平洋戦争中の1943年に廃止された。幻の運河計画の遺構である水門には、左右の塔の上にかつてこの地の名産品であった果物をかたどった装飾が施されており、貴重な産業遺跡として1998年に国の登録有形文化財に登録されている。

                                 (釜利谷高校 井上 達也)


写真はいずれも2006年8月撮影


写真1 多摩川沿いの工場 正面の工場は味の素川崎事業所。




写真2 コロムビアデジタルメディア川崎工場 屋上の丸い鉄骨の枠組みが、かつての音符印のネオンサインの名残。多摩川を渡る電車から本当に良く目立った。この建物もまもなく取り壊される。



写真3 解体工事の始まった旧コロムビアの工場(2008年8月撮影)



写真4 河港水門




写真5 河港水門のオブジェ かつてのこの地の名産である果物をかたどったオブジェが特徴的である。三つの輪が重なった印は、川崎市の市章。



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