湘南地区No.17 「茅ヶ崎2 茅ヶ崎市は工業都市?住宅都市?」(茅ヶ崎市)

2014年5月作成

 

1.茅ヶ崎市の工業 

 学生時代(30年以上前のことだが)、茅ヶ崎に友人がいたため、何度かこの地を訪れた。その当時目についたのは、東海道線の下りがスピードを落とすあたりの右手に見える「TOTO」の看板と、当時としては珍しい、大規模なディスカウントショップ「ダイクマ」であった。

 茅ヶ崎市への工場進出は、年表を見ると分かるように、大きく3期に分けられる。

 第1期の第一次世界大戦中の好況期は、茅ヶ崎市とその周辺地域の原料・資源、すなわち、当時盛んであった養蚕業や相模川の砂利によるところが大きい。

 第2期は、戦時体制に向かう満州事変後の時期で、「軍都」相模原・横須賀を控える湘南地区は、茅ヶ崎のみならず藤沢、平塚、寒川に軍需関連産業が立地した。年表中の茅ヶ崎製作所は、大戦末期に特攻機「桜花」の製造にあたり、東都製鋼や日本精麦なども深く軍需とかかわっていた。

前述のTOTO(東洋陶器)茅ヶ崎工場の進出もこの時期である。同社の立地の理由は、関東大震災後の復興事業で、生活の洋式化が進んだことと、大戦によって幻となった東京オリンピックの開催が決定したことで、関東における衛生陶器の需要増が見込めたためである。そして、これらの工場は、東海道線・相模線と引き込み線で結ばれていた。

 第3期は、戦後の高度経済成長期で、中でも最大規模のものは、水力発電全盛時代に事業を担った、電源開発(J-POWER)の進出である。同社は、16万5000㎢の田畑を転用し、ダム開発のための工場および倉庫を建設した。また、茅ヶ崎市は1960年代に市西部に工業団地を造成し、企業を誘致したため、この時期に都内などから移転してきた企業も多い。

【工場の進出年表】

※「茅ヶ崎市史」他より作成

①第一次世界大戦の好況期:

茅ヶ崎純水館(生糸紡績)相模窯業


②満州事変以後(平塚、藤沢も工場進出相次いだ時期、鉄道沿線に立地)

1935年 松下電器産業蓄電池工場

1937年 東洋陶器茅ヶ崎工場

 茅ヶ崎製作所:「桜花」、木製プロペラ、舟艇などの製造

1938年 東海電極製造(現東海カーボン):小物炭素製品

1939年 日東製作所茅ヶ崎工場:鉄工品加工

     ⇒1953年に跡地を東邦チタニウムが買収

 東洋カーボン:炭素製品

 東都製鋼株式会社茅ヶ崎工場(現トピー工業)

  ⇒戦争中は海軍に特殊鋼納入、ロケット部品や人間魚雷の音響板製造

1942年 日華産業:機械製造

1943年 園池製作所:精密工具製造

 相模工業株式会社茅ヶ崎工場:築炉製造

 大日本塗料株式会社極光工場:発光物

 木村築炉

1944年 富士乾電池用紙器

    日本精麦茅ヶ崎工場⇒跡地は現イオン


③戦後(農地の転用)

1947年 茅ヶ崎市誕生 神奈川県戦後最初の市

1957年 電源開発株式会社が工場・倉庫用地買収

     ⇒その後市に売却 現在の市庁舎、中央公園などはこの跡地に建設

1964年 宮田工業 蒲田から工場を新設・移転:防災用品・自転車製造




図1 電源開発跡地に建設された中央公園


2. 高度経済成長期以後の宅地開発

 戦後、茅ヶ崎市内で工業以上に急速に発展したのが、宅地開発である。1964年、市の南西部に日本住宅公団(当時)が浜見平団地を建設、続けて北部に鶴が台、松風台団地が完成した。この結果人口は急増し、茅ヶ崎は工業都市のイメージよりも、「ベットタウン」という言葉が似合う町となった。

 急速な人口の増加に合わせて、1960年代後半に、大規模スーパーやデパートが、駅前を中心に店舗展開した。前述のダイクマの進出は1968年である。続いて、70年にはスーパーの西友とさいか屋デパート(いずれも現在は撤退)が、79年には地元商店街の出店反対運動にあいながらもイトーヨーカドー茅ヶ崎店が駅前に開店した。私が学生時代に茅ヶ崎を訪れたのは、まさにこのイトーヨカドー出店の頃である。



図2 イオン茅ヶ崎店は日本精麦跡地に建設された

3.バブルとその後 

 1985年、松下政経塾(茅ヶ崎市汐見台)の第1期生15名が卒業、中にはのちに首相となる野田佳彦がいた。4月には文教大学湘南校舎が開校。同月、駅ビル茅ヶ崎ルミネ(現ラスカ)がオープン。湘南なぎさプランの提出もこの年と、85年は茅ヶ崎市にとって何かと話題の豊富な年であった。

 1990年、相模湾に面する13自治体と、県、企業が協力し、海の総合イベントSURF’90が開催された。翌91年には「湘南ナンバー」の誕生が確定(94年登録開始)。世はまさにバブル経済の最中で、バブルと同時に「湘南」ブランドの価値も高まっていった。

 やがて、バブルは崩壊。1990年代には、企業の海外移転に伴い、日本国内では「産業の空洞化」が進んだが、その波は茅ヶ崎にも及んだ。移転する企業が目立ち始め、跡地には大型ショッピングセンターやマンションなどが建設された。1995年、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件となにかと暗いニュースが続いた年である。この年、日本精麦の跡地に、マイカルタウン茅ヶ崎(現イオン茅ヶ崎店)が出店した。また、2000年には、三和鋼機茅ヶ崎工場跡地にジャスコ茅ヶ崎店(現イオン茅ヶ崎中央ショッピングセンター)がオープンした。

【鶴嶺高校 井上 達也】