湘南地区No.17 「茅ヶ崎1 茅ヶ崎市のイメージ」(茅ヶ崎市)

2014年4月作成

 

1.茅ヶ崎市のイメージ 

 茅ヶ崎といえば「海」のイメージが強いが、このイメージはいつごろから作られたのだろうか。

茅ヶ崎駅北口のペデストリアンデッキ上には、宇宙飛行士野口聡一氏、土井隆雄氏、俳優・歌手の加山雄三氏、歌舞伎俳優12代目市川團十郎氏の手形が展示されている。いずれも、茅ヶ崎市にゆかりの著名人である。また、茅ヶ崎市はサザンオールスターズの桑田啓介氏の出身地としても知られている。1999年、市内の茅ヶ崎海水浴場は、サザンの人気にあやかり「サザンビーチちがさき」に改名された。また、2013年夏には、茅ヶ崎市営球場でサザンの復活ライブも開催された。


図1 加山雄三氏の手形

 

2.別荘地として発展 

 茅ヶ崎は、東海道の宿場ではないため、東海道線の横浜・国府津間の開業(1887年)当初、駅が設置されなかった。だが、開業直後に駅の開設運動が起き、1898年に茅ヶ崎駅が現在の場所に設置された。「茅ヶ崎市史ブックレット 茅ヶ崎駅の一世紀」(茅ヶ崎市史編集委員会)によれば、駅開設後の最大の変化は、東海道線の南側を中心に、別荘地と海水浴場が発展したことだった。駅開設前年の1896年、歌舞伎役者の九代目市川団十郎が、孤松庵という別荘をすでに茅ヶ崎に構えていた。前述の十二代目団十郎の手形が飾られているのは、この縁による。そして、駅開設後は、すでに別荘地開発が進んでいた湘南の他地区(藤沢、鎌倉、大磯)とくらべ地価が安かったこともあり、海岸部に次々と別荘が建設された。著名な人物としては、後に首相となる清浦圭吾、団十郎を慕ってやってきた川上音二郎などがいる。また、別荘地の拡大に伴い海水浴場も多くの海水浴客を集め発展した。


図2 高砂緑地は川上音二郎の別荘跡地


 1899年には駅の南側に、結核療養所の南湖院が開設される。当時国民病であった結核の療養施設(サナトリウム)は、1880年代~90年代、風光明媚で穏やかな気候の湘南地区に次々と建てられた。中でも南湖院は「東洋一」の規模と謳われ、作家の坪田譲二や国木田独歩もこの地で療養生活を送った。

 戦前の、別荘、海水浴場、サナトリウム、戦後の加山雄三やワイルドワンズに代表される湘南サウンド、そしてサザンオールスターズと、これらの系譜が着実に茅ヶ崎と海のイメージを作り上げていったと言える。

【鶴嶺高校 井上 達也】


図3 中海岸から江ノ島を臨んだ様子

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