県央・県北地区厚木No6-12  変容する研究学園都市と厚木業務核都市構想(厚木市)

(2009年3月作成)

 

1.青山学院大学の撤退と研究開発機能の強化

 1980年代、本厚木駅から森の里方面への交通機関として「モノレール構想」があり、不便な交通アクセスを解消する切り札として期待された。だが、バブル経済の崩壊、神奈川中央交通の強い反対などで構想は消えていった。約20年前に移転してモノレール開通を期待していた青山学院大学(厚木キャンパス)は失望して前途に見切りをつけ、2002年の学園祭を最後に相模原市淵野辺へ移転した。

その広大な青山学院大学の跡地を日産自動車が買収して、「日産アドバンスド・テクノロジー・センター(NATC)」を設立。NATCは日産の国内最大級の先端技術の研究開発拠点としてだけでなく、敷地内には主要部品メーカーを誘致し、燃料電池研究、ハイブリッド車・安全運転技術の研究施設として、約2000人体制で2007年に操業を開始。2008年~2013年の5年間の投資額約580億円(予定)の他に、県の助成額80億円、厚木市の固定資産税などの減免制度による恩恵を受けた船出であった。

NATCから南へ2.5㎞離れた岡津古久(おかつこく)地区の丘陵地を拓いて、すでに「日産テクニカルセンター(NTC)」が1981年秋に進出していた。当時、企画・デザイン・設計・試作など自動車の研究開発の要の施設として設立されたものであった。2009年8月、日産は東京銀座の本社を創業の地である横浜市(MM21地区)へ移転させて県内シェア向上、国内販売強化、地元大学・研究機関との共同プロジェクト推進に取り組んでいる。こうして日産の二大研究施設や関連企業の存在は厚木市を日産の「企業城下町」にしている。施設に近い小田急線「愛甲石田」駅周辺の日産向けバス離発着駐車場は増設され、駅前の景観も急激に変化すると共に乗降客数も増加中である。


2.厚木市業務核都市構想

 1999年の「第5次首都圏基本計画」を受け、厚木市は「業務核都市」に位置付けられた。

厚木市業務核都市基本構想は「東名厚木インターチェンジ周辺地区」「本厚木駅周辺地区」「森の里及び周辺地区」の3地区を業務施設集積地区に指定し、特に「森の里及び周辺地区」は他地区にはない優れた自然環境と研究開発機能を備えた、研究開発機関のセンター的機能をはたす地区となり、NTT・キャノン・富士通や大学などが進出した。

 一方、東名厚木インターチェンジの近くには当時の郵政省(現在の総務省)の支援で、「厚木テレコムタウン」計画が1992年に開始。厚木インターチェンジに隣接する広大な約50ha

の土地に第3セクター(神奈川県・厚木市などが出資)中心に開発が行われた。最も早く整備

された「サテライト・ビジネスパーク」にはシンボルとなっている地上117mの「サテライト・オフィスビル」などが建設され、ソニーを中心に各社のテナントが進出。しかし、その後のバ

ブル経済の崩壊などによって入居率は低下しており、計画は足踏みしている

 人口約20万人を抱えて県央の中核都市として発展を続ける厚木市は、21世紀の新たな成長戦略の見直しに迫られている。

【前厚木西高校教諭 豊 雅昭】



写真1 青山学院大学跡地に建てられたNATC(日産アドバンスド・テクノロジー・センター)と富士通、NTTなどの研究施設群。丘陵地の緑地斜面は「森の里」にふさわしい景観となっている。手前には住宅地区が広がり、銀行、郵便局、病院、公園、商店、スーパーなどが集まる街の中心地域。丘陵の後方は厚木市街で東名厚木インターそばの高層ビル「アクストタワー」が見える。(2009年3月撮影)


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