県央・県北地区厚木No6-11 「森の里」の誕生と研究学園都市(厚木市)

(2009年3月作成)

 

1.研究学園の街 ホタル舞う

 1999年に開園した厚木市北部にある県立七沢公園は、総面積約65haの県下第2位の広さをもち「日本の都市公園100選」にも選ばれ、厚木市七沢、上古沢、森の里地域に広がっている。公園は雑木林におおわれ、かつては「里山」として利用されていた。起伏に富み、階段や山道も多く、様々な施設が設置され、市民・県民の憩いの場となっている。周辺の上古沢緑地・愛名緑地・小町緑地を入れると「森の里」の名にふさわしい地域といえる。

 また、丘陵の頂上部を削った高台に建てられた県立厚木西高校の校舎やグランドの周囲には丘陵地の一部がそのまま残され、20m程の急斜面にはクヌギ、ナラなど広葉樹をはじめ、その他、多様な植物が育っている。高校敷地内のこの斜面を利用して「自然観察路」が設けられ、「里山」的景観を彷彿させる。

 さらに、高校のグランド横の崖下を小さな榎田川が流れ、「森の里」中央部を抜けていく。この榎田川源流部の「谷戸」部分には水田跡も残されているが、容易に踏み入ることは難しい。

現在、地元の住民の努力で「榎田川」と周辺の清掃など自然環境の整備が進められており、住民の手で育てられてきた数十匹の「ホタル」が2006年の夏、夕刻から夜半にかけて初めて深緑の中を舞った。この取り組みは今後も続けられるという。


2.緑の丘陵地 研究学園の街へ

 厚木市中心部から西へ約5kmの丘陵地帯へ「森の里」が生まれて20年余りが経過した。

緑に覆われた丘陵地の標高およそ100m~150m、比較的侵食の進んだ谷戸地形をもち、丘陵地西側斜面には伊勢原断層がほぼ南北に走り、急斜面をなしている。この丘陵地は当初「厚木パークシティ」として、翌年1980年、「森の里特定土地区画整理事業」として、住宅・都市整備公団(現都市再生機構)により造成が始められ、1985年4月、新住宅への入居が開始された。この時、「森の里」「若宮」「青山」の住居表示が行われ、若宮公園もオープンしてその後入居者は増えていった。ほぼ同じ頃、青山学院大学(82年)、富士通研究所・NTT研究所(83年)、県立厚木西高校(84年)、東陽テクニカ・キャノン・松陰女子短大(現在は松蔭大学)・栗田工業(85年)などが開校、開設される。

 この開発事業は自然環境と調和した新住宅市街化の形成、及び先端技術をもつ研究所と大学など知識集約型の施設の導入を図って実施され、新しい研究学園の街「森の里」の誕生となり、

神奈川県版のミニ「筑波研究学園都市」を目指した。

 東西約2.5km、南北約2.3km、ほぼ中央の低い部分を南北に幹線道路が走り、東側を大学・研究所などの誘致施設地区、西側を住宅地区に分け、周辺には広大な自然公園や緑地を配置した都市空間をつくりあげた。そして、幹線道路に沿うように中央部を玉川の支流である

榎田川が流れ、この小河川の浸食による谷戸の部分が若宮公園として利用される。「森の里」は森林と水辺を持った快適な都市生活空間となって市民の憩いの場となった。しかし、最大のネックは交通アクセスで、小田急線「本厚木駅」や「愛甲石田駅」からバスで約40分という不便な立地条件はなかなか解消されなかった。

【前厚木西高校教諭 豊 雅昭】



写真1「森の里」地域の中央部を南北方向に流れる榎田川の上流

榎田川は「森の里」開発前の丘陵地の中の旧道沿いを流れるが、地域住民により、里山環境を残すとりくみも始まっている。厚木西高校自然観察路も榎田川のすぐ傍にある。


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