県央・県北地区№6-9  模索つづける伝統的地場産業・半原の撚糸 (愛甲郡・愛川町)

(2009年3月作成)

 

1.糸の町 半原

国道412号線を北上して、厚木市を過ぎて愛川町半原に入った道路わきに「糸の町半原」と書かれた大きな紡錘形(ぼうすいけい)の看板が目に入る。相模川支流の中津川右岸に広がる半原はかつて全国のミシン糸の90%を生産し、全国での地位は後退したとはいえ、今でも県内最大の撚糸生産地であることに変わりはない。

「撚糸(ねんし)」業とは糸に撚りをかけて糸に強度や弾性を加え、織物・編み物・縫糸・紐類・工業用資材などの材料を提供する中間工程の事で、多様な繊維製品の品質向上・生地の肌触り・風合いに重要な役割を果たしている。

 撚糸業の歴史は古く、1807(文化4)年頃、機織りの盛んな群馬県桐生から当時の新鋭機「八丁式撚糸機」がもたらされ、水車を回す中津川の豊富な水・適度な湿度・豊富な女性労働力などを背景にして、織物の町である八王子に近い半原で撚糸業が発展していった。

昭和30年代以降の高度経済成長期には、東北地方の各地から中学を卒業した多くの若者たちが就職列車にゆられて半原にやって来た。1980(昭和55)年頃、工場数は240、従業員数1300人と撚糸業は最盛期を迎え、県全体の撚糸工場数の90%は半原が占めた。当時の総生産額(290億円)の圧倒的部分は撚糸(200億円)が占め、次いで縫製品(68億円)、メリヤアス・レース(11億円)、繊維雑品(11億円)、織物(7億円)、染色(6億円)だった。当時が半原の黄金時代であったと言えるだろう。


図1 撚糸業の工程概要



2.洪水のように押し寄せる中国繊維製品、沈む撚糸の産地

 しかし、現在の私たちの身の回りに溢れる下着・靴下・ワイシャツ・子供服・紳士服などありとあらゆる衣料・繊維製品の圧倒的多くは中国製品で、国内市場の90%を占めるまでになっている。かつて50万俵(1俵60kg)も生産していた国内産生糸も現在では3000~5000俵程度にまで落ち込み、現在使用する生糸の大部分は中国からの輸入生糸である。

 ここ半原の撚糸専業者も最盛時の257業者から20業者へ、機械設備面においても10万錘から1万錘へ、生産額も350億円から100億円へと大きく減少した。産業構造の変化・業者の高齢化・後継者問題のみならず、中国や東南アジアでの繊維技術のめざましい進歩で、半原は撚糸産地として危機的状況にあるといってもよい。


3.伝統の技を生かし 独自のものづくりへ

全国的に地場産業が衰退している環境の中で、中国や東南アジアの製品に対抗するために半原では新たな商品開発に取りかかっている。「撚糸」の中心としての縫い糸(絹糸・ナイロン糸・ポリエステル糸)、織物・ニット用撚糸、細幅織物・組紐・レース物などの繊維資材など、地域資源を生かし、繊維と組み合わせた新商品開発への取組みなど糸の町として、独自のものづくりで地域の復活・活性化をめざし模索を続けており、後継者育成も今後の課題となっている。

【前厚木西高校教諭 豊 雅昭】



図2半原における繊維製品生産額 繊維生産合計額 113億円 (2006年度 神奈川県商工労働部工業振興課調べ)



写真1 中津川沿いに軒をならべる半原の町並み。中央の日向橋たもとには愛川繊維会館(レインボープラザ)が建っている。



写真2 愛川繊維会館(レインボープラザ)

半原繊維業界の指導機関として60年余の歴史を持つ神奈川県繊維工業指導所は幕を閉じ、1996年新たに愛川繊維会館として開設された。繊維・織物業の研究、技術相談、技術情報の提供等の他、撚糸・織物関係の機械の展示、手織り、組紐、手すき和紙など体験学習もできる。半原撚糸協同組合、神奈川県撚糸工業組合など多くの繊維産業関係の事務局が置かれている。



戻る

Homeへ